オセロと感情


ウェザーコンポーザーの1章と2章の訳をメンバーページのファイルへ追加しました。

最近、というか今日、オセロと人間の感情に近しいところがあるなと思ったので、備忘がてら残します。

人は心にまっさらな盤面を持って生まれてきて、経験を積むことで心の盤面に石を配置していきます。

石は思い出や記憶、その記憶に対する定義づけで、主にフィーリングと言葉から構成されており、その石は後生その場所に留まり続けます。

石には白い石と黒い石があり、白い石が自分にとってポジティブな過去、黒い石がネガティブな過去で、一生を通じて盤面に白い石と黒い石を増やして行きます。

黒い石は俗にブロックと呼ばれるもので、ブロックを解消することで黒い石が白い石へ置き換わり、反対に新事実発見みたいな形で、白だった石が黒い石へ置き換わったり、色が変化します。(実際にはニュートラルな透明とか灰色など、濃淡やクリアカラーがあると思います)

人は一生を通じてこの盤面を広げ、白と黒による自分だけの絵柄を完成させます。

ある瞬間における人の行動原理は、その時点での盤面の色合いに基づいており、一般的に人は幸せになりたいので、盤面に少しでも白が多くなるよう、次の行動を選択します。

しかし、幼少期に作ったトラウマなど、自分の盤面の中心付近に大きな黒い塊があると、それが心の傷として盤面内で「なんとかしてくれ」と主張して、今の自分の感情に波風が立ちます。

その波風は、ご機嫌ではない、不快なものです。

ここで、この不快な感情の原因が、盤面の中心付近にある幼少期に作った黒い塊なのだと気づけば、なんとかして、その黒い塊の周囲に白い塊(ポジティブな定義づけ)を作って、黒い塊をひっくり返して白くしようと意識や努力ができます。

でもあまりに忘却か封印が深く、その不快な感情の原因に気づかなければ、少しでも白い陣地を多くするために、中心付近の黒い塊はそのままに、外へ外へ、外周へと白い陣地の手を伸ばして行きます。

結局それは、自分がご機嫌だから白い陣地を増やそうと言う「ポジティブ」よりも、傷を直視せず、傷が持つ黒い陣地とのバランスを取るために白を増やそうと言う「ネガティブ」が根にある行動で、大元の黒い陣地をなんとかしない限りは、いくら外周に手を伸ばそうとも、その黒は消えることがありません。

真っ白なハンカチに黒いシミが付いていると気になるように、シミをなんかしようとハンカチ自体の白い部分を無理やり増やしたり伸ばすことがないように、ハンカチから大元の黒いシミを拭い去ることで、それは満足な白いハンカチに変わります。

傷から生じる、傷を直視しない行動は、この「ハンカチ自体の白い部分を無理に増やしたり伸ばす」行動にあたり、結局それを強引に進めたら、ハンカチがいびつな手拭いやタオルサイズになってしまい本来の役目を果たせなくなるというアンハッピーな状況になってしまい、黒いシミも残ったままです。

人によっては、シミが気にならないように黒を付け足して模様を描くかも知れませんが、ここでの自分にとって最高にポジティブな盤面とは、白と黒ではなく、真っ白です。

大事なのは、傷を直視すること、黒い塊そのものを直視して、白くするんだ、白へ変えるんだという意識と行動だと思います。大抵、直視したくない傷には、直視したくない、見たくない理由があるものなので、それをクリアできたなら、半分は解決したも同然です。

このようなオセロを続け、人は自分の絵柄を完成へ近づけます。

真っ白にできた人もいれば、まだらや白黒織りなす絵柄の人、あるいは真っ黒な人もいるかも知れません。

けれども、石の色がなんであれ、それは同じ「石」です。

ひっくり返せば色が変わりますが、表裏一体の同じ物体です。

このように、表裏の向きで色が変わり、人によって織りなす絵柄が違うという面白さがオセロにはありますが、その絵柄を構成しているものは、本質的に同じもの、一つの「モノ」から出来ているという世の本質が、このゲームに含まれているような気がしました。

少し大げさに言えば、「モノ」とはファーストソースで、私たちのすべてです。

黒と白、どちらの色に傾いても、私たちが一なるものから等しく来ていると言う真実は変わらずあるということを、実はオセロが教えてくれているのかも、知れません。


2024年12月21日(土)13時30分より第15回ウィングメーカースタディグループを開催予定です。(仮日程です)

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