The Sovereign Integral : A new model of existence


PDF
Author: JamesMahu

Copyright: Creative Commons

Creative Commons BY-NC-ND: このライセンスは、再利用者がいかなる媒体や形式においても、改変されない形で複製および頒布することを認めるものです。非商業的な目的に限り、制作者を明示させる場合にのみ許可されます。

CC BY-NC-ND とは以下を通りです:

BY 制作者の名前を表示する必要があります

NC 非営利利用のみ許可されます

ND 著作物の派生物や改作は許可されていません

サヴァリン・インテグラル 新たなる存在モデル

私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する。

─ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、『論理哲学要論』、1922年

イントロダクション

意識は、最も重要なテーマでありながら最も理解されていないものです。そのことについて、少し考えてみてください。私たちは宇宙について、たったひとつの意識よりも多くのことを知っています。脳とその神経回路が意識の代行者であると私はみなしていません。それらは、それぞれ別の能力、目的を持ったものです。脳は、頭蓋骨の内部に保護されて、一つの転生(生涯)の情報を分析し計算します。そして意識は、フロンティアを拡大するように自己認識の周辺で始まり、数え切れないほどの転生と次元に巻き込まれた、無限で束縛されない主権者(サヴァリン)です。

意識は、完全に主観的なものであるため、科学の測定や検出が困難です。他の意識と同一の経験を共有する意識は一つも存在しません。意識はすべての生命体にとって固有のものです。あらゆる個の意識は、無限の複雑さと完全な主観性という二つの側面を持つため、マッピングや明示が最も困難なものであるという奇妙な特性が与えられているのです。

歴史を通じて、地図製作者たちは世界地図を描こうとしてきました。旅人や探検家の口頭での報告を参考にしたり、自分自身が旅人や探検家であったこともありました。そして、その報告を地図に書き写し、領土を視覚化したのです。それは惑星の地勢を記す理論と言ってもいいでしょう。地球のマッピングを数万回繰り返し、島、山脈、川、三次元地形などの詳細を追加し、新しい土地が発見、または征服されたときに調整を行っていきました。現在では、人工衛星、フラクタル幾何学、強力なコンピュータによって、細粒微細な解像度でインターネットを用いて誰でも利用できるようになりました。

意識の顔をマッピングする取り組みに参加するには、より多くの地図製作者、特に芸術家が必要です。現代科学が出現して以来、宗教学者、心理学者、神経学者、生物学者、物理学者が意識の本質について議論してきました。芸術家の中には、その目に見えない「顔」 ─ 私たちの人間の顔の背後にある存在を、絵画、ダンス、写真、音楽、映画、本を用いて捉えようとしてきた人々もいます。時に、恐らく偶然に、彼らは私たちの人間の世界の中にその痕跡を捉えます。彼らがその痕跡を捉えた時、芸術家とその作品が新たな源泉(ソース)から生まれ出たと見做されるのかもしれません。永い間、誤解され、静かに、しかし確固たる情熱をもって、理解されることを求めてきた、或る種の内的な世界(リアリティ)から生まれたのだと。

私たちの文化において、意識を理解することは明らかに過小評価されています。高等教育では多様な哲学的見解が示され、宗教の教えでは人間の魂の本質を知ろうとしていますが、意識は知的抽象概念か、丸みを帯びた詩の言葉によって定義されたままです。興味深いことに、意識は現実的な主題ではないのです。意識の研究・分析を担当する分野が、人類には存在しないのです。(繰り返しますが、脳の話をしているのではありません)

この序文においてさえ私は何度も繰り返しますが、意識と脳は別のものです。更に踏み込んで言えば、意識と魂(ソウル)は別物であると言い切ってしまいましょう。魂の定義で合意されたものを統合すると、一つの文章になります。魂とは、一般的に霊的なもの、永遠の自己(セルフ)と考えられています。神(ゴッド)、アラー、ヤハウェ、ブラフマンなどが、その創造主です。未知のプロセスを経て、神に似せて創られたものかもしれません。魂は死後、ある規則を守れば、天国のような境地に達することができます。死後の生活は、良いものも悪いものも、地上での人間としての行動によって決められます。これが「魂」という概念の大まかなフレームワークです。

一方、意識は特定の宗教的または霊的組織の独占物ではありません。それは完全に存在するものであり、無限のものです。それ故に意識はすべてのものを含みます。少なくとも私の探究において、意識を簡略に定義するならば、主権的自己(サヴァリン・アイデンティティ)(個 – セルフ)と統合的自己(インテグラル・セルフ) (全体 – ホールネス)の合成体です。つまり、意識を指す私の用語は、サヴァリン・インテグラル*1なのです。

*1 サヴァリン・インテグラルは純粋な意識であり、 独立(サヴァリン)した個であると同時に、時空と二元性の世界に存在するすべての生命をつなぎ統合(インテグラル)するフォースとの接続点です。

サヴァリン・インテグラルという用語は、私が1998年にウイングメーカーのウェブサイトを立ち上げた時に初めて登場した言葉です。神話的な物語の中に包まれた、音楽、アートワーク、哲学、小説、詩といった一連のコンテンツの中で、この言葉は比較的目立たないものでありましたが、初期にリリースされたマテリアルの中の哲学論文の中にその定義が含まれていました。この論文は、サヴァリン・インテグラルが中心的な主題です。サヴァリン・インテグラルにフォーカスしています。神話の一部としてではなく、存在する最もリアルなものとして言及します。この論文『サヴァリン・インテグラル』は、意識だけが呼び喚こすことができる徹底的に主観的なノンフィクションであることを私は強調したいです。

「意識」という言葉は、「サヴァリン・インテグラル」という用語と置き換えることができます。この二つの言葉を私は同じ意味で用いています。この論文は「なぜ意識はとらえどころがないのか、そもそも意識とは何なのか」という問いに対する答えとして、意識の新しい顔や側面を提示しているに過ぎません。

「とらえどころがないわけではない。単に自らの魂に耳を傾けていないだけだ」と言いたくなる人もいるでしょう。その視点は一定の真実が含まれていますが、サヴァリン・インテグラルを具現化し、リアルなものとするための特定の聴き方はあるのでしょうか? それがこの論文のもうひとつの目的です。サヴァリン・インテグラルを光の当たる舞台(ステージ)に引き摺り出したいのです。光の当たる場所へ連れてくれば、少なくとも「骨格レベル」で、「自分のもの」として見晴らしの利く地点でそれを明らかにすることができます。

この論文は、意識の構造と性質に関する定理です。サヴァリン・インテグラルは、紙やキャンヴァスの上という二次元的な制約の中で説明を行うという点においては理論以上のものにはなり得ません。サヴァリン・インテグラルには、証明も科学的な説明も存在しないのです。数学の中へと集約できるものでもありません。「定義できない」ということが、必然的な性質の一部なのです。その理由はこうです。サヴァリン・インテグラルは範囲において無限であり、その主権性の故に、無限に比類なきものだから。完全に独自の体験の軌跡を描いて広がってゆき、それ故に、その理解、表現、視点、方向性、知識、智慧、記憶、そのすべてが唯一無比なものだからです。その独自性を進化させながら、その存在自体を再定義していくのです。言い換えるならば、サヴァリン・インテグラルは、静的なものでも絶対的なものでもなく、最終的なゴールという目的地も持ちません。

更に言うならばサヴァリン・インテグラルは、いかなる組織、信条、民族、社会経済的地位からの恩義を受けません。

これは非常に重要な特質です。サヴァリン・インテグラルは、無限であり拡大する独自の意識です。それは二元的な世界と非二元的な世界の両方に同時に住んでいます。サヴァリンとは、個別化されたセルフであり、ボディ-エゴが存在しない時でも常に存在するコアとなるアイデンティティです。それは或る転生ライフタイム(生涯)から別の転生へと架かる橋であり、またそれらの転生そのものでもあります。しかし人間の身体に住む以上、ソーシャルプログラム*2という遍在する道標によって補助を受けながら、ボディ-エゴによってそのアイデンティティは偽装されます。

*2 二元性の世界の中では、種族の集合マインドが、特定の時空において合意されたリアリティに合意しています。これがソーシャルプログラムが共有する半分です。残りの半分は、サヴァリン(個)によって経験される、独自のソーシャルプログラムです。ソーシャルプログラムは、その双方を含んでおり、実質的にインテグラル(統合された全体)は、二元性の中に存在することになり、性質において二元的な存在の次元によって、その機能と能力が縮小されています。

サヴァリンの、その独特なインテグラルとのつながりは、ボディとエゴ、そしてソーシャルプログラムによって切り離されています。それはまるで、ディナーの食卓から除外された子どものようです。「何でも持っていきなさい。でも、どこか他所で食べなさい」と。エゴは生存本能の副産物として現れます。そして後年、ソーシャルプログラムという厳しい現実から身を守るための盾となります。 先祖伝来のDNAは、性向や才能をボディに与え、エゴにも影響を及ぼすことがあります。今、私たちはボディとエゴと共に「ディナーの食卓」を囲んで座り、ソーシャルプログラムを仲間に加え、平穏に夕食を楽しんでいます。サヴァリンは追放されました。インテグラルは拒絶されました。

インテグラルについて少し述べたいと思います。インテグラルに最も近い言葉は、宗教や秘教的な文献の中で書かれている「スピリット」です。インテグラルは、磁気的な性質があり、サヴァリンの核となる収斂力(コア・アトラクター)として機能しています。何故かというと、それなくしては、サヴァリンは容易に注意散漫となり、その理解の拡大がエントロピーに陥ってしまうからです。その段階にある時(自由意志はソーシャルプログラムと混じり合います)、サヴァリンの基本的な性質はインテグラルの延長線上にあるままです。

進化という手が、インテグラルの身体に取り付けられています。インテグラルは、経験から得られた情報の集積点という結果において、すべての世界から得られる知性です。それはすべてのものにとっての伴侶であり、それ故に唯一のものであり、すべての生命を包み込むエッセンスなのです。ソーシャルプログラムに夢中になってテーブルを囲んでいる二つの存在(ボディとエゴ)は比較的に排他性があります。その二つは、同族による排他的な小集団であり、人間と文化社会の地形を支配しています。このまさに同族主義を通じ、インテグラルはボディ-エゴ-ソーシャルプログラムの三位一体によって妨害されているのです。この三位一体がサヴァリン・インテグラルの意識を濁らせています。それ故に、その存在と目的に対する理解が混乱状態にあるのです。

私は、これを意図的なものであると主張します。これは、サヴァリンがインテグラルから分離したままでいさせ、ある意味において、ボディとエゴの中に自身を見失わせる手段です。これが、人類を人間たらしめています。魅惑の肉体の中に歓びがあり、人間としての経験は工場で生み出される製品のように矯正され得るものではありません。人間を体験するには、昏(くら)い光と、サヴァリンとインテグラル双方からの分離が要求されます。

この論文は、何かを改善したり、何かに取って代わるものではありません。そのようなことはまったく意図されていないのです。要するに、自分で書いてみて、図解してみて、絵を描いてみたのです。自分のために。それらが集まり、価値があると思いました。それでシェアしようと決めたのです。それが大まかな背景です。出版社も、編集者も、組織も、アーティストも、デザイナーも存在しません。他の声(翻訳者を除いて)は、この作品に参加しませんでした。

そういった背景を念頭に置いていただいた上で、『サヴァリン・インテグラル』という論文は、意識の顔の地図制作者としての私の探究を正確に表していることをお伝えしたいです。私の探究はあなた自身のものとは根本的に異なるものかもしれません。そしてそれ故に、この論文が他のものよりも価値があるとか、優れているなどと主張するつもりは一切ありません。この意識と存在の地図は、私だけに当てはまる可能性があります。つまるところ、それがサヴァリン・インテグラルの性質なのです。自由意志と、個の意識が他のすべてと混じり合う無限の多次元宇宙の中において、主観性とは標準(デフォルト)の状態にあるものなのですから。

このプロジェクトが、この地図製作に情報提供してくれた莫大な数のサヴァリンたちの功績であることを私は認めたいと思います。彼らの作品と貢献が、私の架け橋となりました。この地図が悟りへの道を示していると私は主張しません。せいぜい、あなたの想像力の中でサヴァリン・インテグラルの意識を保持し、検討するための入り口のランプあるいは出発点です。

この論文の存在理由の一部として、他の人々がサヴァリン・インテグラルを調査したいと願うようになり、サヴァリン・インテグラルを想像できるように自分たちの生活の中で十分な時間と空間を与えたいという私の願いがあります。別の存在理由として、意識の神話が、すべての神話の中で最も興味深いからです。私たちは皆、現実(リアリティ)を作り出し、観察し、学んでいます。二元性の中の低次の表現が、非二元的な世界を含むよう意識と格闘し、手なずけ、あるいは変容させ、より大きな、より次元の高い愛*3に基づく統合を形成していくのを私たちは見ているのです。

*3 この愛の形態は、サヴァリン、インテグラル、サヴァリン・インテグラルが重なり合ったものとして定義されます。この愛が、自由意志を十分に尊重した統合するフォースです。セクション2でもっと詳しく述べられています。

根本的な真実があり、しばしば人々はこの真実に対して不安や不満を抱きますが、これは受け入れなければならないことです。サヴァリン・インテグラルの意識は、五感によって知覚できるものではありません。それは想像力によってのみアクセスできるもので、その能力は脳や松果体、ボディ、エゴにはなく、ハートにすらないのです。その能力は、高次(ハイアー)マインドの知覚アンテナに存在します。それはインテグラルに向かって拡大しようと、その定義を模索するマインドの能力の一部です。高次マインドは、人間の業績や心霊現象には興味を持っていません。高次マインド、高潔(ノーブル)なマインドは、サヴァリン・インテグラルを想像し、インテグラルへと拡大するという特定の意図をもって人間の世界の中へとその意識を招き入れます。

この序文で述べたように、意識は最も理解されていない最も重要なテーマです。したがってその連続体は、個人的な意味でも集団的な意味でも、人間の知識における最大の両断理論であると言えるでしょう。これがまさにこの主題を理解することが重要である理由です。何故ならば、その理解がおそらく他のいかなる要素よりも、インテグラルな思考を持ちながら、サヴァリンの唯一性に対する十分な認識に根付いた行動を生み出すことができるからです。

あなたの自己定義(アイデンティティ)はシフトする可能性があります。そして、自己定義を探求する人間としてのこの自然の能力を考慮し、インテグラルに向かって手を伸ばしながら、私たちのサヴァリンに対する理解を深めるという見通しを常に持ち、機敏である必要があります。芸術、文化、意識、社会規範、教育、そしてこの時代と場所の中で人間であるというリアリティをシェアしながら、私たちの共鳴点を認識する必要があります。

「ただ真実を教えて欲しい」という言葉(フレーズ)があります。しかし、形而上学と意識の領域においては、相対的な真実しか存在しません。その相対的な真実とは、ただの意見に過ぎません─様々な意見があり、時にまったく正反対の意見もあります。重要なのは、私たちがどのように存在し、なぜ存在し、私たちは本当は何者なのか、どのようにしてこのように存在するようになったのか、誰も真実を語ることができない、という点です。次元と転生(ライフタイム)、無限に変化する経験の間をすり抜けていく、複雑なフラクタルな性質をもつ意識を正確に描写し、説明可能な言葉は、いかなる言語であっても存在しないです。

仮にそれが説明できるとするならば、この論文はそれについて書かれたものです。私たちにできる最善は、意識の地図を探索し、共鳴点に敏感になることです。拡大する、あるいは収斂する感覚はありますか? この共鳴は、知的に理由づけされた経験以上のフィーリングです。

このマテリアルは、触ると少し「ひんやり」するかもしれません。それは、意識のハートにではなく、意識のマインドにフォーカスしているためです。これは、束縛されず、固定されず、ダイナミックで、進化し、謎めいていて、自己決定的で、なおかつ合理的な概念に対して特にオープンな意識の高次マインドに向けられたものです。おそらくは、論理的なものでもありましょう。

では、意識が一般的にどのように定義されているかを見てみましょう。

メリアム・ウェブスター辞典(完全な定義)
意識(Consciousness):

1: a) 自分の中にある何かにとりわけ気づいている性質や状態
b) 外部の物体、状態、または事実を意識している状態または事実
c) 認識、特に社会や政治的な状態に対する懸念

2: 感覚、感情、意志、思考によって特徴付けられる状態

4: 意識を回復した普通の意識状態

5: 無意識のプロセスとは対照的な、人が気づいている精神生活の上位レベル

この論文において最も関係が深いのは三番目の意識の定義です。しかしながら、お分かりのように私は「全体」が意味するものを再定義しています。意識とは無限のキャンヴァスであり、その広大さ故に『サヴァリン・インテグラル』のようなひとつの論文では、たったひとつの画素(ピクセル)しか彩色することはできません。どのピクセルを描くか、慎重に選ぶ必要がありました。

サヴァリン・インテグラルの意識は、すべてを包含しています。無神論者であっても、敬虔な宗教学者であっても、これらの意識の地図が、あなたが現在信じている意識や人間の魂に「追加」可能なことが理解できるでしょう。前に述べたように、この論文は何かを置き換えることを意図したものではありません。この論文を読んでも、あなたはまだ無神論者かもしれないし、敬虔な宗教学者のままなのかもしれません。あなたのソーシャルネットワークも仕事も、誰かとの関係性も変える必要はないのです。この論文は、そのようなものではありません。

サヴァリン・インテグラルとは、想像上の存在(イマジナリービーイング)*4のようなものです。それは人間ではありません。それは悟りを開いた存在ですらありません。それは二元性の世界と非二元性の世界の両方において無限で、相互次元的であり、それは不可能に思えるかもしれませんが、それでもそれを私たちとして想像することができます。

*4 パラグラフ140に定義があります。

サヴァリン・インテグラルに由来する哲学は、拡大と表現するのが最もふさわしいです。陳腐で、結晶化され、標本のように固定され、あくる日も同じ日のように説明できるものはサヴァリン・インテグラルに由来するものではないのです。意識とは天気と同じように、常に変化しています。目的地や終着点、努力の集大成や目的の達成を表すものは、サヴァリン・インテグラルに由来するものではありません。それは無限に拡大しているのです。

では、想像上の存在(イマジナリービーイング)としてのサヴァリン・インテグラルは、私たちの世界 ─ 私たちが生きている人間の共有されたリアリティの中でどのように生きて、呼吸をしているのでしょうか? 科学がそれを突き止められず、宗教と霊的な文献があまりにも曖昧なら、この存在を人間の領域に意味のある形で持ち込める見込みはあるのでしょうか?

それこそが正に、この論文が扱っているものなのです。その痕跡とエネルギー、その視点を、私たちすべての転生にインスピレーションを与える要素として、より深く感じられるようにするため、サヴァリン・インテグラルの意識を人類の文化にもたらすことが芸術家の役割であると私は信じています。

あなたは暗闇のために創りだされたのではありません。

セクション1 サヴァリン:一般的なモデル

このセクションでは、サヴァリンから始め、次のセクションではインテグラルについて詳しくみていきたいと思います。

1 意識は、完全に相反する二つのアイデンティティ(サヴァリンとインテグラル)の合成体です。本質的に無限の独自性があるその一方、二元性の世界に転生したすべての実体(エンティティ)に適用される共通の特性も持っています。次に述べることが、その一つの特性です。私たちは、サヴァリンとインテグラルから成る他に類をみない合成体なのですが、二元性の世界の中ではその性質が、ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムによってもたらされる歪みを受けています。私はそれを「二元性のヴェール」と呼んでいます。

2 サヴァリン(Sovereign)とは、文学の世界で使われてきたように、王や君主を表す言葉です。辞書にはこんな風に書かれています。

メリアム・ウェブスター辞典(完全な定義)
サヴァリン(Sovereign):

1: a) 性質において最高であること

 b) 最も高貴な種類のもの

 c) 治癒力を発揮すること(薬の特効)

2: a) 最高の権力を持っていること

3: 最高権力者(スーパー・ルーラー)の性質、あるいはそれを形容する言葉

3 この定義から分かるように、サヴァリンと権力は密接に関連した概念です。青で強調した言葉は、私の定義に関連するものですが、おわかりのように、私のサヴァリンの定義は、あなたのボディ-エゴ-ソーシャルプログラム─あなたがあなたとして識別する部分にとって、少し非現実的(シュール)だと感じるかもしれません。このセクション(論文全体ではないとしても)を読んでいる間、ひとつだけ自制してもらいたいことがあります。それは、あなたのマインドをオープンで探索的な状態に保って欲しいということです。

4 サヴァリンを理解するためには、まずハイアーセルフが意味するものを理解する必要があります。

5 私が研究してきた、ほぼすべてのハイアーセルフの定義では、それは単一の存在であり、特定の身体と対になっており、それが仕えている個人の人格の霊的な中心となっています。これは、個人の内なるスピリット、あるいはソウルについて思考するための比較的新しいモデルです。このモデルでは、個人をある種の霊的な悟りに導くために、ハイアーセルフがその叡智を分かち合うことが示唆されています。ハイアーセルフは、あらゆる点において個人の霊的生活の問題に対するカウンセラーです。これは、救済とは個人的なプロセスであり、必ずしも外部からの影響に依存していないという考えかたです。一般的にハイアーセルフは、ボディ-エゴのもっと洗練された意識のヴァージョンであり、個人のスピリチュアルガイドです。

6 ハイアーセルフは、人間のソウルと同じものではありません。同様に、サヴァリンもハイアーセルフと同一のものではありません。

7 サヴァリンの場合、非二元性の世界においては、それぞれの意識の次元(レベル)とそれぞれの存在の状態(転生 : ライフタイム)の集合的な自己(アイデンティティ)です。サヴァリンは、非二元的なインテグラルを認識しており、サヴァリン・インテグラルの意識を体験するためにその意識の状態と結合することを意識的に求めています。

8 二元性の世界では、全人類のボディ-エゴが私たちの共有する現実(リアリティ)、つまり私がこの論文で集合的ソーシャルプログラムと呼んでいるものを定義しており、サヴァリンは、宇宙飛行士が宇宙服の中にいるように、マインド、感情、ボディ-エゴに宿っています。

9 分裂していないサヴァリンは非二元性の世界の中に生き、分裂したサヴァリンが二元性の世界の中に生きていると言えるでしょう。分裂していないサヴァリンも分裂したサヴァリンも、ひとつの同じものであり、個別化された無限の自己(アイデンティティ)なのですが、二元性とボディ-エゴのヴェールがサヴァリンとインテグラルを不明瞭にし、その存在すら疑わしいレベルにまでなります。仮に存在すると信じられているとしても、その定義は範囲と機能において狭められています。

10 理解すべき重要なことは、サヴァリンは種族、性別、時間と空間を横切った生命(ライフタイム)の中に住んでいて、それぞれの転生(ライフタイム)の次元を横断して活動しているということです。それによって、サヴァリンは無限に比類なき個性的なものとなるのです。総和としての個を定義する意識がサヴァリンなのです。一個人としてのゴールは、その個人が生きている特定の転生の、次元的自己(ディメンジョナル・セルフ)たちとの整合を果たし、その転生のすべての次元を通じてコアとなるサヴァリンを表現することです。そうすることにより、サヴァリンをコアとし、ボディ-エゴと融合し、ある程度ではありますが、ソーシャルプログラムの障害、惰性、重力を軽減することができます。

11 奇妙なことではありますが、フラクタルがサヴァリンを思い描くための理解の手がかりとなります。フラクタルとは、数学的に生成される繰り返しのパターンで、拡大と縮小の双方のレベルでそのパターンが無限に繰り返されます。言い換えるならば、フラクタルはスケールが違っても同じように見えるのですが、スケール自体が特定のレベルに特別な意味を与えているのです。例えば、サヴァリンの概念は、異なるレベルで単にクローン化されるのではなく、各レベルで複雑さ、意味、振動、表現、生命力が変化します。これは、各レベルがソーシャルプログラムを通じて異なるサヴァリンを呼び起こすためで、そのソーシャルプログラム自体が意識のレベルごとに様々に変化するからです。

12 しかしフラクタル幾何学は、一次元と三次元空間の間に含まれるものです。しかし、フラクタルが概念上、意識のあらゆる次元を横断できるとしたらどうでしょうか? 二元性の世界と非二元性の世界の間ですらも? 別の言い方をすれば、その二つの世界を包含する次元は存在しません。それがこの論文が提示するものでもあります。サヴァリンとインテグラルは、性質的にフラクタルです。それは、転生(ライフタイム)(サヴァリン)と次元(インテグラル)の間の流動性です。実存がどのような規模、周波数、密度、振動であっても、サヴァリンとインテグラルの両方が存在します。サヴァリンとインテグラルが、唯一の交差ポイントであり、それがフラクタルなのです。

13 (抽象的な話となることを私は予め警告しておきました。申し訳ありませんが、同じ口から、決まり文句(クリシェ)を引用させていただきます。一回読んだだけでは、すべてが腑に落ちるわけではないのです)

14 上の図は、サヴァリンを視覚的に表したものです。(サヴァリンとインテグラルのような二元性と非二元性の世界の間を流れるフラクタルの概念は、そもそもペンやキーボードを打つことで表現できないものであることを私は認めます)

15 この図の中でサヴァリンは、レベルと転生(ライフタイム)を横断する経験のコレクターです。これはサヴァリンの唯一の役割でも機能でもありませんが、中心的なものです。サヴァリンの愛、知性、相互接続、拡大に対する理解を深めるのに役立つ有意義な経験が、その存在の価値ある決定的な材料となります。

16 サヴァリンは、数え切れないほどのボディ、エゴ、時間、場所、ソーシャルプログラム、次元に生息する、単一でありながら複合的な存在です。一つの転生(ライフタイム)、性別、惑星、種族ですらも孤立していないです。サヴァリンは、それが住んでいる生命体、その中で得られた体験がどんなものであっても個の核となるアイデンティティです。特定の転生は ─ アリであれ、人間であれ、植物であれ、イルカであれ、チンパンジー、あるいは猫であれ、三次元の種族ベースの現実の中のサヴァリンの体験なのです。特定の種族(ボディ-エゴ*5)、特定の時間と場所の中における種族の特定のソーシャルプログラム内の様々な転生をサヴァリンが経験しているのです。

*5 動物、昆虫、植物をボディ-エゴとする生命体にもサヴァリンが宿っています。これは、サヴァリンのフラクタルな性質の一部です。

17 サヴァリンがプリズムで、インテグラルが光です。各転生がプリズムを通して分離された各色であり、そのレベルあるいは次元の中が、各転生が展開される舞台です。サヴァリンは、ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムに対しては不可知論的な立場にあります。それらにはすべて価値があります。それぞれがインテグラルに対するその理解を広げ、深めるのに貢献し、その総合体がサヴァリン・インテグラルの意識へと導きます。

18 つまり、希望という名の翼で、私たちは飛ぶことをまず学ぶのです。すべての個人的な変容、すなわち開始点(インセプション・ポイント)が存在します。源流となる泡が水面へと昇るきっかけとなる時と場所が。それは一滴の雫から始まり、それが流れとなり、小川となり、さらに大きな河となって、やがて海へと流れ込みます。これは時間というレンズの下の生き方で、サヴァリン・インテグラルには時間が存在しないその一方、サヴァリンとインテグラルは二元性の中に住まうため、それ故に時間の影響を受けます。

19 ボディ-エゴが人間の現実の中における一時的な主権者です。それとまったく同じように、マインドが精神的な領域における一時的な主権者です。それぞれのレベルにおいて、新しい主権者的自己(サヴァリン・アイデンティティ)が存在します。サヴァリンとは、個別化された意識が織りなす「複数の次元を交差する(インターディメンジョナル)」フラクタル*6なのです。つまり、それは次元やレベルを超えて移動するものであり、サヴァリンの異なる表現は本質においては似ているように見えるかもしれませんが、新しい意識の各レベルでは、その特定のレベルや転生におけるサヴァリンたる存在の独自の経験から違いが生じます。

*6 パラグラフ163に定義があります。

20 この定義において注目すべき点の一つは、サヴァリンが他の種族にも宿るということです。つまり、それは人類に限定されません。これは、すべての生命が主権者であることを意味します。サヴァリンは、人間のボディ-エゴに宿ってそのソーシャルプログラムに適応するだけにのみならず、アリ、マグロ、タカ、キリン、ゴリラ、トンボ、ヒトデ、リンゴの樹、タコのボディ-エゴ-ソーシャルプログラムの中にも宿ることができるのです。

21 サヴァリンとは、他の生命体や自然一般との相互依存と相互接続を表しています。サヴァリンが、蛾の現実(リアリティ)、あるいは人間の現実(リアリティ)を体験しているにかかわらず、その存在のあらゆる現実/次元の中において、複数の次元を交差する意識として拡大と進化を押し広げているのです。それぞれの種族には、その種族固有の現実があり、それにはその種族のためのソーシャルプログラムと時空が含まれています。ボディ-エゴは、その特定の種族の現実において、そのソーシャルプログラムとのインターフェイスです。そう、キハダマグロやシルバーオークの樹ですらも、彼らが没頭しているソーシャルプログラムがあるわけです。サヴァリンは、その種族内で共有された現実と相互作用し、そのソーシャルプログラムを足掛かりにしながら、ボディ-エゴを満たし、力を与え、学び、刺激を受けながら拡大していきます。

22 おそらく、少なくとも私にとっては、それがサヴァリンの最も興味深い性質です。それは、サヴァリンは時間と空間の束縛を受けないということです。魂、ハイアーセルフ、内なるスピリット、アートマン、永遠のセルフ、神の息子と娘たちは皆、時間と空間に束縛されていました。つまり、それらは特定の人間が死ぬまで付随していたのです。それは、私たちの霊的なエゴであり、死んだ後は通常、より良い場所に移動する霊的な分身でした。

23 しかしサヴァリンは、特定の時間と場所の中の特定の人間に固定されていません。真のサヴァリンは、単に特定のボディ-エゴに宿っているわけではないだけではなく、ボディ-エゴそのものに宿っていません。時空に住まうものなのです。それは、至福、涅槃、天国、天使的な教師に極まる一回の転生や連続する転生の中には存在していません。サヴァリンは、複数の現実の中で複数のボディ-エゴを身に纏い、サヴァリン・インテグラルの意識を表現し、理解するためにその場所と時間の叡智を学びます。

24 サヴァリンは、ある転生の間は、特定のボディ-エゴの中に留まり、それから回転ドアのように新しいボディ-エゴ-ソーシャルプログラムの中へと移行します。多くの人にとって、この死後の移行はちょうど完了したばかりの転生の性質を慣性のように引き継いでいるように感じます。彼らは、ちょうど完了したばかりの転生で学んだ信念体系という点においては、ほぼ同じままです。この信念体系が彼らの経験に力を与えます。何故なら、その信念体系が意図を生み出すからです。そして、その意図は「コードが切れた後」でも終わりません。

25 例えば、私がキリスト教の敬虔な信者であれば、天国に行くこと、イエスの傍にいること、そして人間の能力を最大限に発揮してキリスト教の価値観を反映することが私の意図です。この一連の意図を単純化していることは認めますが、簡潔にするために言うならば、その信念体系が、ソーシャルプログラムの重要な部分として個人に対する意図に影響を及ぼしているのです。そして、死後、サヴァリン(ボディ-エゴ・ヴァージョン)は、その学習を統合した上で、ありえないほど多様な現実のマトリックスから、新しいボディ-エゴ-ソーシャルプログラムを選択します。

26 これにより、すべての生命には内在的な価値があります。何故なら、すべての生命にサヴァリンが宿っているからです。これが、サヴァリン・インテグラルがすべてのものを包含している理由のひとつです。それはすべてのものを包み込んでいます。それはすべてのものに住んでいます。それはすべてのものです。それは何故、人間の文化が等価性というこの基本的な前提を体現する必要があるのか、何故、私たちの集合的なソーシャルプログラムがやがて、その視点を含むようになるのかという質問に答えます。この定義において、等価性とは全体性です。それは、「私たちは同じだ」という意味の等価性のことではありません。それがどのような形態を取ろうとも、いかなる時空でそれ自身を表現しようとも、真のサヴァリンがすべての生命のコアとなるアイデンティティです。

27 地球という惑星では、人類が誕生して以来、約1100億人の人類が誕生しています。では、自然について考えてみましょう。地球上に生息していた植物の数は? 昆虫の数は? 魚の数は? 哺乳類の数は? 私が言いたいのは、地球上の生命は、私たちが自然と呼ぶものの一部として、無限に近い数を持っているということです。サヴァリンの意識は、人間の生命体と自然を通して形作られてきました。もしそうでなかったら、どうしてインテグラルが存在できるでしょうか?

28 サヴァリンは、二元性を学ぶ生徒です。それは、悟りをひらいた魂でありながら、混乱した人間なのです。何の目的で、サヴァリンは生命体の中へと旅するのでしょうか? 学ぶため? 経験するため? 理解するため? インテグラルの視点を体現するため? サヴァリンは、たとえボディ-エゴが同族主義や競争に偏っているように見えるときでさえも、常にインテグラルへと拡大している状態にあります。

29 サヴァリンの定義における重要な要素は、破片化されていないサヴァリン、つまり集合的なアイデンティティに基づく知性のレベルです。魂は、人間のイメージの中で生み出されたものです。つまり、こういうことです。魂とは、本質的に私たちの良いヴァージョンであり、たまたま永遠に生き、たまたま地球という惑星で私たちのボディ-エゴの占有権を共有している。魂が人間の創造物であるならば、その知性は人間の知性に束縛されているという仮説は妥当なものでしょう。魂のIQテストをするというわけではありませんが、一般的に魂を信じる人は、魂はとても聡明だと言うでしょう。確かに人間より賢いのでしょうが、どの程度賢いのでしょうか? どの程度の認識力があるのでしょうか?

30 二元性の生徒であるサヴァリンは、ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムとは無縁です。精神的な悟り、真理、社会的価値、天国への最善の道といったような概念に対する同族主義的な占有権の中に、ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムはそれ自身を表現します。サヴァリンは、ひとつの目的をもって一回につき、ひとつのボディ、ひとつの種族に結びつけられた人間の魂となるところまで希釈化されます。その目的は、永遠の至福に生きることです。サヴァリンの知性は、別次元のものです。その知性は、二元性の世界の中で非二元性を表現するものです。それは、美と叡智と愛を生み出すために、サヴァリンとインテグラルとを融合させる知性です。

31 皆さんの中には、人間の文化を見渡して、このセクションで定義されているサヴァリンの知性を持つ異次元的存在が、どうしてこれほどまでに堕落し、まったく歪み、一見して無力化されているのか不思議に思う人もいるかもしれません。何故、そのような知的存在が自らの縮小を許すのでしょうか? 簡潔な答えは、「二元性のヴェール」がコアとなる非二元性のサヴァリンからの分離を可能とさせるからです。それこそが、サヴァリンが望んだことなのです。そのインテグラルな性質の記憶なしで二元性を探求するために、非二元性から自由となったのです。その結果、愛と憎しみ、善と悪、勝ち負け、優劣など、さまざまな二元性を存分に経験することができるのです。

32 サヴァリンのフラクタル・マトリックス(つまり、種族と時空を横切ったレベルと転生)には、サヴァリンの特徴が刻み込まれています。そのような存在の知性は想像することしかできません。とりわけ、その意図がインテグラルの意識に集中している場合には。サヴァリンとは現象ではありません。それは意識、すなわち経験する者です。現象は、インテグラルです。宇宙的なヴィジョンや、ランダムなデジャヴ、薬物による幻覚といった現象は、必ずしも望ましい経験ではなく、絶対に必要な経験でもありません。そういった経験は、意識そのものよりも抽象性が低いがために、ボディ-エゴと共鳴し、反復を誘発します。ボディ-エゴは、現象論的な経験にやや中毒になりがちです。エゴの魅力的な欲求を満足させる手段として、またはマインドに証拠の感覚を確立する手段としてそれを求めます。

33 サヴァリンは、転生をアイデンティティの拡張として認識し、最初は現象への好奇心によって理解を深めますが、この好奇心は純粋意識というメンタルモデルに道を譲るようになります。アイデンティティが拡大したとしても、そのニュアンスが微妙すぎて、変化がないように思える可能性があります。これは現象ではなく意識の内部シフトであるためです。現象という物語ではなく、自分の意識や視点の微妙な変化が、インテグラルを養うのです。私たちひとり一人がサヴァリンとして、自らの内にインテグラルの意識を養い、それと同時に個人的なソーシャルプログラムを通じて私たちの外側にもインテグラルの意識を養っています。

34 意識は、私たちと共に常に存在するものです。私たちのボディ-エゴは溶けて無に消え去りますが、私たちであるサヴァリンは常に存在し、常に経験しています。この世界の中に私たちが存在していることが継承されていくのです。それは、私たち一人ひとりが持つ永遠の好奇心の炎なのです。それは、私たちの運命であると同時に、私たちの起源でもあるのです。

35 しかし、私たちの大半にとって、サヴァリンへとボディ-エゴから引き寄せられる注意は、私たちがボディ-エゴに向けている時間と注意に比較すれば、取るに足らない些細なものです。ボディ-エゴに対するサヴァリンへの注意力は、ボディ-エゴが想像することによって感じることしかできません。だからこそ、ハートの美徳の実践*7が大切なのです。何故ならば、高貴(ノーブル)なマインドにアクセスして、そこにある想像力を活用することで、サヴァリンの意識の精妙な姿を想像し、それを対等な存在としてボディ-エゴの中に招き入れることができるからです。

*7 ウイングメーカー・マテリアルの中で紹介されているハートの美徳とは、感謝、同情、寛容、謙虚、理解、勇気という六つの主要となる行動から構成されています。ハートの美徳が表現されるとき、それはボディ-エゴにではなくサヴァリンへと捧げられます。ハートの美徳を表現する対象は、私たち自身と、私たちと時空(無限の瞬間)を共有しているすべての生命の双方に対するものです。

36 上の図は、二元性の世界とサヴァリンの無数の転生、レベル、種族のボディ-エゴを通じた経験についての展開プロセスを表したものです。サヴァリンはそれぞれの特定の転生におけるボディ-エゴの活性ポイントですが、ボディ-エゴにはサヴァリンの拡大への招待とリアリティの検討を拒否する自由意志を持っています。サヴァリンは、サヴァリンの視点に対するボディ-エゴの興味をかき立てる活性化電流であり、そこから得られる洞察からボディ-エゴは、個人的・集団的なソーシャルプログラムを再解釈することができます。同様に、インテグラルは、サヴァリンがそのエネルギーと文化との整合の拡大を活性化させます。インテグラルを活性化させて、サヴァリンへとその引力を増幅させるのはサヴァリン・インテグラルであり、事実上、一回に一個のサヴァリンに種族の内部にサヴァリン・インテグラルの文化を構築することを促します。これらの地図やモデル─それがどんな解像度で現れたとしても、それが活性化したサヴァリンを引きつけることを知っているからです。

37 サヴァリンとインテグラルの間には相対的なバランスが必要です。さもなければ、サヴァリンは準備できているかもしれませんが、インテグラルが文化的に未熟であるがために、家族の信念に執着したり、信念体系の拡大を遅れたりさせるため、サヴァリンは待たなくてはなりません。同様に、インテグラルに強烈な磁気があったとしても、活性化し、インテグラルを進んで体験し、表現するサヴァリンは実に極わずかです。彼らはもっぱらボディ-エゴの中で生きたいと望み、インテグラルの魅力に無関心であるが故に準備ができていないのです。

38 このバランスが、展開プロセスの活性化のための土台であり、それが二元性の世界の中でサヴァリン・インテグラルの意識を生み出すためのインセプション・ポイントに刺激を与えます。私たちは想像上の存在(イマジナリービーイング)を想像し始めます。その存在は私たちのサヴァリンを通して生活に現れ、ボディ-エゴとソーシャルプログラムを通して経験され、表現されます。

39 サヴァリンによっていったん活性化されたボディ-エゴは、とりわけテクノロジーによって時間が加速・圧縮された時代にあっては、忍耐、挑戦に対する寛容性、コミットメントの補充、熟考するための時間を必要とします。これらの資質が、粘り強くサヴァリン・インテグラルの意識に対する理解を深め、拡大する上で支えとなります。こういった事柄は、間違いなく非常に抽象的な概念であるため、私たちの世界とは無関係に感じやすいものです。しかし、私がこの論文の中で織り込もうとしている理解のための糸が土台となるものなのです。これらは抽象的にみえるものの、存在の本質を指し示しているのです。

それでは、インテグラルとその目的を探っていきましょう。

発端の案内役が幕を開ける

セクション2 インテグラル:一般的なモデル

このセクションではインテグラルに焦点を当て、その次のセクションでサヴァリン・インテグラルの新たな定義にフォーカスしていきます。

40 セクション1で述べたように、意識は完全に相反する二つのアイデンティティ(サヴァリンとインテグラル)の合成体です。少なくとも理論的にはサヴァリンの構造の概略を理解した今、インテグラルに注意を向ける時がやってきました。サヴァリンが蛾だとするならば、インテグラルは炎でしょう。インテグラルは、サヴァリンがサヴァリン・インテグラルの意識を体験し、表現したいという欲求をかき立てる主だった牽引役(アトラクター)です。それは、時間に基づいた変容の裏に潜む触媒であり、個の無限の独自性を、ユニティと個性との融合へと引き寄せます。*8

*8 ウイングメーカー哲学では、この変容とそこにある道を「I am We are」(個であり全体である)と定義されています。

41 定義に入る前に、辞書で単語のおさらいをしましょう。

メリアム・ウェブスター辞典
インテグラル(Integral):

1: a) 非常に重要で、不可欠なもの

 c) 他の部分と結合した構造体であること

 d) 構成要素からできていること

 e) 欠点がないこと

42 この定義におけるインテグラルは、項目1bの「完全性に不可欠なもの」と密接に関連しています。しかしながら、インテグラルを理解するにはソーシャルプログラムを理解する必要があります。ソーシャルプログラムが二元性の世界におけるインテグラルだからです。それはボディ-エゴ*9が二元性の中でのサヴァリンであるとの非常に良く似ています。人間という存在の中で、私たちは高次元のコアであるインテグラルよりもソーシャルプログラムの方に遙かに熟達しています。

*9 親しみを込めて念をおしますが、ボディ-エゴは人間や三次元的な存在に限られたものではありません。

43 ソーシャルプログラムは主観的です。つまり、各個人は自身とインテグラルに対する独自のサヴァリンの理解に基づいて自分のソーシャルプログラムを理解します。人間のソーシャルプログラムは、組織的なものと自然的な要因によって形成されています。

インテグラルの組織的な要素は下記の通りです。

  • 教育
  • 政治
  • 宗教
  • 文化

インテグラルの自然的な要素(肉体に関するもの)は下記の通りです。

  • DNA
  • 集合的な記憶
  • 本能的な知性
  • 自然

インテグラルの自然的な要素(エゴに関するもの)は下記の通りです。

  • 家族
  • 友人、教師(メンター)、社会集団

44 集合的にこれらの要素は、サヴァリンが降下した特定の種族の個人のソーシャルプログラムに影響を与えます。例えば、マウスのソーシャルプログラムは組織的な要素を持ちませんが、それでも上記の分類にあるような自然的な要素を豊富に含んでいます。次の図は、種族の複雑さに応じて、ソーシャルプログラムのフォーカスポイントが異なっていることを表しています。

45 人間のソーシャルプログラムが組織化された唯一のものです。それ程複雑ではない種族がソーシャルプログラムの中に組織的な要素を持っている場合、それは人間に由来するものになります。言い換えれば、人間の組織的な要素が地球上の他の種族に影響を与えており、それが独占的に組織的な要素となります。

46 それぞれの種族が、そのボディ-エゴ(すなわち二重のサヴァリン)に情報を与える独自のソーシャルプログラムを持っていて、人間のケースでは種族内で表現される各個人ごとにそのソーシャルプログラムには独自性があります。その独自性の範囲は種族の複雑さと相関性があります。言い換えれば、ボディ-エゴの複雑さが高ければ高いほど、ソーシャルプログラムのバリエーションが増えるということです。

47 時間の連続性の中で見ると、ソーシャルプログラムは、ある場合には根本的に進化しています。例えば、人間のソーシャルプログラムは200年の間に、馬と馬車と電報から、宇宙旅行とインターネットにつながった携帯電話へと進化しました。私たちが想像できるように、この技術革新は、ソーシャルプログラムの進化に重要な役割を果たしてきました。人間だけでなく、地球上のほぼすべての種にとって。しかし、宗教と政治は比較的ゆっくりとしたスピードで進化し、文化はその中間に位置します。

48 ソーシャルプログラムは、二元性の領域ではインテグラルの文字通りの顕現であることを理解することが重要であり、それが、私がもう一度繰り返す理由でもあります。したがって、人間の現実は幻想やシミュレーションではなく、単に二元性が適切に機能することによって可能になったインテグラルの意識が希薄化したものなのです。人間は、一般的に妄想の中で生きている訳ではありません。妄想的に見えるのは、ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムの独特な相関性であり、サヴァリンとインテグラルが二元性の次元の意識を真にコントロールしています。サヴァリンとインテグラルが私たちの場合においては、21世紀の三次元の地球のリアリティを中心として繰り広げられる人生というゲームの遊び場を構築する共同設計者なのです。

49 これが、サヴァリン・インテグラルの意識と、宗教的・霊的・形而上学的視点との間の重要な違いです。サヴァリンは、唯一可能な方向、すなわちインテグラルに向かって拡大します。サヴァリンとインテグラルは無数の異なる視点から生命を経験しますが、常に ─ それが本当に注目に値する唯一の錯覚であるのですが、一度に一個の転生を経験することで、ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムの三位一体に焦点を合わせることができます。

50 ソーシャルプログラムは、種族がカオスと回復不可能な不均衡に陥るのを防ぐ、自由意志の宇宙の制御力です。ソーシャルプログラムの「ボディ」を構成する組織や自然の力の背後で、インテグラルの意識は、あらゆるレベルの意識の各サヴァリンを通じて、惑星レベルの意識を確実に引き寄せているのです。個のボディは生物学的なものです。個のエゴは、社会的なアイデンティティであり、実地的な経験の場所です。これらのペルソナは、サヴァリンとソーシャルプログラムの両方に潜んでいます。私たちはソーシャルプログラムのメンタルモデルを採用し、サヴァリンとインテグラルは私たちを採用しています。

51 先に述べたように、ソーシャルプログラムは二元性の世界の中で進化します。二元性の世界には、既知と不可知の両方があります。非二元性の世界の中には「不可知なるもの」*10が存在します。ソーシャルプログラムは二元性の世界にのみ関係がある可能性がありますが、たった今述べたように「不可知」であるため、ソーシャルプログラムは存在のすべての次元へと伸びている可能性があります。

*10 パラグラフ184に定義があります。

52 最終形態が存在しない ─ 特定の目的地が存在しないということは、シンプルにサヴァリンとインテグラルの二元性の中におけるその存在の副産物です。しかしこれらの不確実性は、主にサヴァリンとインテグラルの無限性によるものであり、今は奇妙で不可解に感じるかもしれませんが、二元性の世界では当然のことです。結局のところ私たちは二元性の生徒なのですが、サヴァリン・インテグラルとして私たちは非二元の世界の中へと生まれ、非二元の世界は私たちのボディ-エゴにとって、そのコアにおいて、二元性の中で人生を送る私たちにとって不可知なるものとさせています。これらの現実は当然ながら、私たち全員とは言わないまでも、ある人々にとっては不安なことです。

53 仮にあなたがサヴァリン・インテグラルのこういった側面に対して不安を抱かないとしたら、私がここで述べている概念モデルを十分に理解していない可能性があります。ソーシャルプログラム(それはDNAと先祖の傾向を条件付けます)は、人類が地球、太陽系、そしておそらく既知の宇宙の頂点に立つ生命体であることを何千年にもわたって非常に明確にしてきました。人間は、一度きりの、あるいは複数の連続する転生を生き、その帰結は存在として非存在となるか、煉獄か、天国か地獄か、あるいはカルマから解放された永遠の至福のいずれかです。人間は、サバイバルと繁栄の競争の中に閉じ込められました。生きるか死ぬか、それが選択肢でした。サヴァリン・インテグラルという選択肢は存在しませんでした。

54 特定のサヴァリン(二元性の中で経験された異なる転生/レベル/種族)のインテグラルが存在し、すべてのサヴァリンたちの集合的なインテグラルが存在します。フラクタルの性質上、これらのインテグラルは決して完成することはありません。その意味において、具体的に定義され固定された標準的な概念が存在しないのです。私たちは皆、サヴァリン・インテグラル・ネットワーク*11のメンバーです。そして、私が「私たち」という言葉を使うとき、それは想像し得る限り最も包括的な定義です。

*11 パラグラフ191に定義があります。

55 この概念によって、様々な新しい行動が呼び起こされますが、最も注目すべき行動は、すべての生命との親密さが深まることでしょう。サヴァリン・インテグラルのフレームワークは、すべて─政治、お金、権力、民族主義、不平等、宗教紛争など、すべてが含まれます。サヴァリン・インテグラルは、それが実現された瞬間、相違を吸収し、それらを統合します。それが、二元性の世界におけるサヴァリン・インテグラルの力です。

56 インテグラルについての私の最後のコメントは、愛に関するものです。(結局、すべてがそうなのですが)誰もがインテグラルを知っています。それは、インテグラルの偉大な完成形です。私たちはその完成形を、独自の人間のリアリティとして知っています。何故なら、それがそれぞれのサヴァリンにとってのインテグラルだからです。それは、各々の意識の次元におけるサヴァリンのリアリティであり、人間の経験が自分たちの隣人と似ている一方、それはサヴァリンとして、インテグラルの表現と経験において完全に独自のものです。

57 愛とは、包含と拡大です。愛とは、サヴァリンのすべての表現に思慮を巡らすことです。愛とは知性です。愛とは調和です。愛とは、サヴァリンをインテグラルへと引き寄せる引力です。それ以外の道はありえません。何故なら、非二元のサヴァリンの高貴(ノーブル)なマインドにボディ-エゴが触れるのはハートを通じてなされるからです。ノーブルマインドとは、私たちがサヴァリン・インテグラルと、それがいかにして人間存在の中に生きているのかを想像することを可能とさせる能力が宿っているところです。

58 インテグラルにおそらく最も近い言葉は、「スピリット」だと思います。しかしながら、宗教で一般的に用いられているスピリットとは、神に仕える遍在する神秘的な存在のことです。それは最高の「眼」と「耳」であり、すべての生命(少なくとも人間)に浸透する目に見えないフォースです。それとは対照的にインテグラルは、実は神秘的なものではなく、むしろ誤解されています。結局のところ、インテグラルとは私たち各人の独自の「現実(リアリティ)」で、その現実が私たちが唯一知り、知ることができるものなのですから、どうして神秘的なものであり得ましょうか?

59 インテグラルの血統と創造は、私たち人間には不可知なるものです。生きている知性が私たちサヴァリンをつなぎ、そのサヴァリンたちがあらゆる生命の中に顕れていると私たちは教わりました。私たちは、自分の現実とその瞬間において、インテグラルが私たちの目、耳、手、口、鼻、感情、直感、想像力の目の前にあることを教わったことが一度もありません。それは、私たちの独自のリアリティの中の至るところに存在しています。

60 私たちはそのことを理解できませんが、神秘的(ミステリアス)なものではありません。それは隠されていません。隠されているのとは正反対です。私たち人間は、この惑星が始まって以来、理解していません。恐らくは、ある古代において人類 ─ 人類全体として、こういった概念にもっと精通していたのでしょう。しかし、私たちの歴史、宗教、哲学の論文を読んでも、そのような時代を発見することはできませんでした。サヴァリン・インテグラルという概念については、それがどの程度知られていたかに関わらず、国や宗教界からの迫害を受けずに学べる所において、常に人類の小さな集団の中に留まり続けました。

61 一つの転生における私たちのすべての選択は、「現実(リアリティ)の瞬間」と呼ばれるある瞬間に収斂します。その瞬間こそ、インテグラルが最も活気に満ちて生きている場所と時間です。そこではインテグラルのエネルギーが満ち溢れ、その鼓動(パルス)が感じられ、私たちの人生の目的が深く理解されます。私たちの人生の、この瞬間においては、サヴァリン・インテグラルの意識を覗く埃だらけの窓かもしれませんが、洗ってクリアにすること、少なくとも今よりもクリアにすることは可能です。

62 この論文は、インテグラルをより明確に捉え、その存在を理解するためのものですが、それには一つのことが必要です。それは、集中(フォーカス)することを厭わないことです。21世紀を生きる私たちの多くにとって、それは難しいことだと思います。しかし、私たちがサヴァリン・インテグラルの視点を、私たちの歩みの中に、私たちの瞳の中に、私たちの言葉の中に、私たちの感触の中に、私たちの響きの中に、私たちの思考の中に、或るところまで理解したいと思うのであれば、集中が要求されます。これは、渡るのに短くも、簡単でもない橋なのです。

63 真実はシンプルであるべきだと大勢の人々が信じていることを私は認識しています。何故なのか、マルチバースの無限の複雑さはシンプルな真実に還元される、と。その視点に私は同意しません。また、真実に到達するためには、修道院で20年過ごさなければならないとも思っていません。私が言う「集中する場所」とは、これらの概念を把握し、自分の中にしばらく留めておくために、読む、熟考する、描く、書くなど、必要なことをする場所のことです。そうすることで、何が真実なのか、あるいは真実である可能性があるのか、私たちの感覚を広げることができるのです。

64 インテグラルは必要不可欠なものです。最も本質的なものだとも言えるでしょう。それにより、誰もがフラクタルな体験をすることができます。インテグラルは、主観的で応答性の高い教師であり、私たちを間違いなくインテグラル自身に引き寄せてくれます。これは長い時間をかけて起こり、数えるのが不可能な非常に多くの転生を要求されます。どのサヴァリンも心の底では、サヴァリン・インテグラルの意識にロケットで到達することを望んでいません。これは競争ではありません。それは広大な時空の中で、徐々に意図的に展開されるプロセスです。このプロセスの中で、私たちはサヴァリンとして、愛を形作り、創造し、表現し、進化させ、想像し、発信しているのです。

65 愛には様々な形があります。それは誰でも想像できるように、同じようにフラクタルであるサヴァリン・インテグラルと同じです。それは、サヴァリンとインテグラル(二元性の表現)とサヴァリン・インテグラル(非二元性の表現)が重なり合う空間です。 この重なり合う空間が、エンパワーメントのマンドルラ*12です。それが知ることができる最も純粋な愛の形です。その最大の特徴は、二元性によって分離した部分を統合し、同時に自由意志を認めることにあります。これは、愛と知性です。

*12 エンパワーメントのマンドルラは、三つの部分からなる愛の意識です。それは、サヴァリン、インテグラル、サヴァリン・インテグラルです。それは、21世紀初頭の人間が知ることができる最も広く、最も高く、最も深い愛です。このマンドルラの体験と表現が、サヴァリンの「DNA」に織り込まれた根本的な目的です。

66 人間の愛、私たちが本物だとみなしている愛は、この地球上で有用で、魅力があり、意味を持ち、歓びに満ちています。そのすべての資質が、私たちが求め、価値があるものです。それは、私たちのソーシャルプログラムのひとつです。他のどのフラクタル概念よりも社会化されているのは愛です。そしてこの理由から、愛は現実を克服し、条件付けし、犠牲を払い、崇拝する力として、人間のボディ-エゴを通してそれ自体を表現します。それらが、集合的なソーシャルプログラムが提示する人間の愛の顔なのです。私たちの誰もが愛の別の「顔」を見いだせますが、それは私が挙げた四つの顔の次に位置するものでしょう。とはいうものの、他にも沢山の愛の「顔」があることを私は認めます。人間の愛を描写する次の図の四つの角をもって、愛について議論することができます。

67 ここで言っている広義の要点とは、愛の定義ではなく、その元型と愛のコアとなるエッセンスがどのように生きて、機能しているかです。サヴァリン、インテグラル、サヴァリン・インテグラルが重なり合うエンパワーメントのマンドルラは、新しい経験への拡張を可能にするために機能し、それは輪ゴムに少し似ています。輪ゴムのような力は常にそのコア(重なり合うコア)へと引き寄せますが、その力はどんなに拡張しようが収縮しようが問題ありません。その引力は常に灯っているのです。この愛が、サヴァリン・インテグラルが二元性へと拡張するための器に力を与える行為なのです! その本質は野生で自由なものであり、条件付けしたり、コントロールしたり、所有したりすることはできません。この本質は、統合する意志というその表現において純粋ですが、すべてのサヴァリンの自由意志を尊重しています。

68 この愛こそが、サヴァリン・インテグラルのエッセンスなのです。それには拒絶感がありません。それは、意識的に送信したり、減らしたり、送信を止めることすらありません。スイッチで入れたり、切ったりするものではないのです。それは、一切の期待をもたず、内なる調和の状態から外へと流れ出ます。意図がないのです。ヴィジョンをもっていません。たった一個の計画の原子すらもっていないのです。それでいて、それは最もパワフルなフォースです。存在全体をコヒーレンスをもって統合するからです。

69 サヴァリン、真のコアたるサヴァリンは、インテグラルと一致することであれば何でも可能です。サヴァリンは、自分が体験するリアリティの共同創造者です。ヒューマン・セルフ(ボディ-エゴ)は、そのリアリティを意識的に創造しているのではなく、それを体験しています。サヴァリンが、自身の一部を創造し、インテグラルも自身の一部を創造します。それらのリアリティが具現化された二重のサヴァリンによって混ぜ合わされ、ひとつの転生内、ひとつのレベル内、ひとつの種族内、ひとつの場所と時間内で創造されます。これらのアイデンティティ・マーカーが重なり合っている内側にあるリアリティが、私たち一人ひとりの中にあるサヴァリン・インテグラルの蒸留物です。

70 二元性の生徒であるサヴァリンは、インテグラルという協力者が存在することを滅多に意識しません。私たちの中には、サヴァリンとインテグラルのリアリティが神秘的に混ざり合っていることに意図と信念を重ねている人もいますが、その意図はほとんどの場合、ボディ-エゴのためのものです。それは、人間のリアリティの中で、インテグラルの体験と表現を探し求めているサヴァリンの表現ではありません。よって、その意図はボディ-エゴを見栄とエリート主義へと族化し得ます。分離を減らすのではなく、増やすだけです。

71 サヴァリン(私はサヴァリンと私たちのヒューマン・セルフを区別しています)は、私たちのリアリティが経験されると同時に創造されることを知っています。そして、その創造は結合した意識(サヴァリン・インテグラル)であり、その意識が組み立てられた時、私たちがインテグラルと呼んでいるリアリティの無限の刺繍(キルト)を創造します。心で結ばれたスピリットは、実際に私たちにパワーを与え、そのすべてのエンティティの表現がどんなに薄暗くても愛の表現を呼び起こします。

72 これは受容性(女性エネルギー)と勇敢で反射的行動(男性エネルギー)について語っているのではありません。これは、意図的かつ知的な統合に関することです。その統合の結果、敵を打ち倒すのではなく、愛のエンパワーメントを体験し、相違や敵意、闇、感情的な痛みを癒し、解決します。そしてそれは、等しく統合的な愛の表現でもあるのです。

73 「リアリティの瞬間」は、垂直、水平、光線が進むことが出来るあらゆる他の角度からやってきます。それは、収束点です。そこにサヴァリン・インテグラルが住んでいます。この愛の形態は、統合的な知性です。それが、すべての世界で通用する重要な通貨なのです。それは学問的な知性ではありません。それは経験に基づく知性ではありません。この愛である知性は、生得的なものであり、肌と同じぐらい私たちの近くにいます。その知性をどのように使用するか、どのように人生に応用するか、またはどのようにその知性と接続するかさえ私たちは完全には理解していません。そしてそれは皮肉なことです。私たちのリアリティの目の前にその知性はあるからです。

74 サヴァリン・インテグラルは、私たち全員が向き合っている人生の「スクリーン」です。私たちはそのスクリーンを眺めて、二元性の振り子に絡めとられたボディ-エゴを体験することもできるし、インテグラルの調和が私たちの人生の中で常にその瞬間に踊っているのを体験することもできます。そのスクリーンは、私たちの体験と表現のために常に利用が可能です。サヴァリンは、奇跡や心霊的・魔術的な現象を起こすことを意図していません。その代わりに、サヴァリン自身とインテグラルの深い理解からくる体験と表現を探し求めています。その体験は、私たちの内にあるサヴァリン・インテグラルが私たちの独自のリアリティのソースであるという、常に深まり続ける体験です。実際には、この意識の深化を通じて「奇跡」が訪れます。

75 知性とは、相対的なものです。私たちは、ガリバーを縛った小人(リリパット)のように宇宙を縛りました。私たちはとりわけ多次元宇宙に対してこれを行い、私たちの知性をそれに委ねました。そうすることで、私たちは集合的にサヴァリンの窓の日よけ(シェード)を下げ、インテグラルの扉を閉じました。しかしながら、この行為 ─ 全体的な行為が、分離ゲーム*13、すなわち人生というゲームの大きな要素になっています。分離ゲームについては、後のセクションで詳しく述べますが、さし当たって今は、その「ゲーム」には目的があり、愛という知性によって可能になっているということだけ知っておくことが大切です。

*13 パラグラフ167に定義があります。

76 私たちが多次元宇宙に付与した知性は科学というレンズを通じて進化しています。新しい理論が科学的に価値があることが証明されると、その理論は学問の殿堂に送り込まれ、教育システムで教えられることになります。それが、私たちの宇宙と多次元宇宙がどのように作用し、機能しているかという信念体系の根幹となるのです。科学が一度に吸収できる情報は限られているため、私たちが多次元宇宙に付与した知性はゆっくりと進化しています。思い出してください。私たちの信念が、地球中心説から太陽中心説、銀河中心説から宇宙中心説、そして多次元宇宙説へと、500年足らずの間に変化してきたことを。

77 この話全体の主たるポイントは、私たちが認めている以上に多次元宇宙は知的であるということです。その理由はここでも、科学がその性質において二元的であるのに対し、私たちの多次元宇宙のコアは非二元的だからです。つまり、既知は「不可知なるもの」を知ることができません。私たちは、物理法則が私たちの種族の存在に刻印されたリアリティに生まれました。したがって私たちは、多次元宇宙の無限の知性と、インテグラルと調和するサヴァリンの目的を知覚するというゆっくりとした進化の影響を受けます。

78 科学が、サヴァリン・インテグラルを発見することはないでしょう。科学は、サヴァリン・インテグラルは可能であるが、科学の基準と測定によって、解読、可視化、捕捉、またはその他の点で明確にすることはできないという結論に導く法則を発見するでしょう。科学と五感による経験主義は限界に達しています。

これがまさにインテグラルが存在する理由です。そうでなければ、サヴァリンはボディ-エゴ内で、哲学および科学的探求において拡大しないソーシャルプログラムを作成するからです。

79 形而上学において、難解な概念のひとつに「相反するものの調和」があります。例えば、「知ること」と「不可知であること」は相反するものですが、サヴァリンの意図によって調和させることができます。相反するものの間に調和を生み出そうとする意図は、二元性のシステムから緊張が取り除かれ、バランスするポイントを見つけるのに役立ちます。そのバランス・ポイントに、サヴァリンとボディ-エゴの視点を合わせることができれば、相反するものとして分離したあらゆる概念や物事に適応することが可能です。

80 インテグラルを体験するためのメソッドは次の通りです。私たちが体験するリアリティの二元的な性質を調和させる意図を実践し、保持することです。インテグラルの協力者として、二元性のシステムの中で相対的な調和を創造し、体験すること。それは決して完璧ではありません。私たちは皆、少なくとも現時点では、バランスがどちらか一方に大きく振れすぎているように見える暗黒の時代を経験しています。これは、人間の状態を束縛している要素のひとつです。またそれは、サヴァリンが二元性の中でサヴァリン・インテグラルを体現するため、インテグラルに手を伸ばす上で奨励される方法の一つです。

何を信じているか、何を知っているかではなく、明らか
にされる準備ができているかどうかが重要です。

セクション3 サヴァリン・インテグラル:一般的なモデル

81 サヴァリン・インテグラルとは、個々のボディ-エゴ-ソーシャルプログラムの各レベルと各転生において、サヴァリンの視点とインテグラルの視点が融合することでもたらされる非二元的な意識です。人間に関するものとしてのサヴァリン・インテグラルは、二元的なインテグラルと二元的なサヴァリンのソーシャルプログラムの中に埋め込まれた大望に燃えるかがり火(ビーコン)です。それは三つの存在をひとつに結び付け、私たちはそれを愛と呼んでいるのですが、それは一般的な愛とは異なる愛です。サヴァリン・インテグラルは、持続する調和の中で相反するものが結びついた意識です。相反するものが結びつくことによって、三つのフラクタルな存在、サヴァリン、インテグラル、サヴァリン・インテグラルが重なり合ったものは、愛と知性を発信する三位一体(コ・シンギュラー)の意識なのです。

82 サヴァリン・インテグラルは、種族と個を何百万年も誠実に牽引してきた超越論的対象(transcendental object)です。人間が意味や目的を求めて努力した結果、今日の世界があります。私はこの声明の中で、その本当の意味と目的の探求とは、サヴァリン・インテグラルの探求であることを示唆しています。そして、この概念、想像上の存在(イマジナリービーイング)という強力な概念は、儀式・儀礼の背後に隠され、言葉やシンボルという埃まみれの檻の中に住んでいるため、ボディ-エゴによって誤解されてきました。その結果、私たちの集合的なソーシャルプログラムは、二元的な上下にアップダウンする波に乗って流れるリアリティとなり、社会経済的、性別、民族的、政治的、地理的、宗教的な部族主義、社会的思考、集団思考の破片に分裂してしまいましたが、この破片たちはまた、愛、エネルギー、人間関係、情熱、創造性、洞察力に満ち溢れているのも事実です。

83 真の超越論的対象は、分離、部族主義、組織的な真実とは一致しません。その本質が、サヴァリンの存在内のすべての相反するものが結合した非二元的な意識であるためです。人間主義、合理主義、実存主義、汎心論、無神論、メタバース、宇宙、多次元宇宙など、リアリティを構成するどのような要素に没頭しようとも、超越論的対象は、その名前からだけで分かるように、そのすべての要素の外側、あるいは向こう側にあります。「不可知なるもの」が、それの徽章(ブランド)です。それは、すべての生命を通じてすべてのリアリティの中にある純粋な愛と知性の存在です。

84 この論文の読者は疑問に思うかもしれません。「何故、著者は意識という広大なキャンヴァスのひとつのピクセルを描くにあたって、そのピクセルとしてサヴァリン・インテグラルにフォーカスするのだろうか? 超越者(創造主)ではなく?」

85 言語には、いかなる形の言語であれ、概念と情報を完全な抽象概念へと拡大させる力が保持されています。言語に関連する抽象化とは何なのでしょうか? 意識のような形而上学的な性質を持つ言葉であるとき、特にフラクタルな概念を持つ言葉であるときには。意識は不可知なものです。物理的なボディを通してオン・オフのスイッチがあるといことぐらいしか私たちは知りません。それは数理モデルに還元することはできません。抽象化、純粋な抽象化は、高次(ハイアー)マインドに属するものです。高次マインドは、非二元性に橋をかけるという高貴な目標をもち、二元性を体験している意識の部分です。

86 私たちは無限のものを閉じ込めることなど本当に出来るのでしょうか? この論文の中の言葉、図、絵ですらも檻を構成します。おそらくもっと大きな檻なのでしょうが、二次元によって描写される無限の存在という故に、その描写は制限されたものです。このことは、私たちを謙虚さに結びつけるため、頻繁に認識する必要があります。

87 私たちは誰一人として、究極の真実を知りません。誰もそのまさしくコアにおいて、意識を完全に理解していません。サヴァリン・インテグラルの意識が、その性質において非二元であるからです。サヴァリン・インテグラルを完全な主観性をもった想像上の存在(イマジナリービーイング)として描写し、それでいて、何が、あるいは誰が、その最後から二番目の意識をもたらしたかのか、それを論じることはノンフィクションの作品にとって不適切な主題です。私たちに想像が可能な、意識に照準を合わせた方が良いというのが私の意見です。

88 サヴァリン・インテグラルの意識の創造者がボディ-エゴにとって「不可知なるもの」である理由の一部は、人間のリアリティの中でサヴァリン・インテグラルが再配置されることで、大きな影響を受けたからです。21世紀初頭の人間の表現は鈍化し、制限され、組織化され、ますますテクノロジーに依存する社会に囲い込まれています。そしてその社会は、サヴァリン・インテグラルの意識の想像的な体験よりも、五感に強制的に訴えかけます。

89 私たちの認識力や注意力がコンピュータ・テクノロジーに飲み込まれていなければ、テクノロジーは、輸送技術や農業技術、あるいは車輪の技術や火そのもののようになっていたかもしれません。これは人類が地球の副産物となり、「意識の筆記者」*14となってその運命を達成したときから繰り返されてきたパターンです。人類は地球上に生息する生物の中で意識を言葉によって表現できる唯一の種です。これは個人のソーシャルプログラムの中でサヴァリン・インテグラルが活性化し、存在し続けることによって可能となります。

*14 パラグラフ156に定義があります。

90 時代や場所に伴うテクノロジーがどんなものであれ、二元性のマントにインテグラルが覆われていたとしても、そのテクノロジーはインテグラルの引力がもたらした自然な結果です。インテグラルはマントの下でも活気に溢れており、意図をもってソーシャルプログラムの中にサヴァリン・インテグラルの視点を招き入れようと、ボディ-エゴ、マインドとハートに気付きを与え、説得しようとサヴァリンにささやきます。そして、このセクションの最初のパラグラフ(パラグラフ81)で述べた愛を体験し、表現すること、それが重要なのです。

91 一周りしたところで、サヴァリン・インテグラルの更に細粒な像を描く前に、サヴァリン・インテグラルの奇跡のような創造主を語ることは時間の無駄です。せいぜいその主題とは結びつかない詩となるのが関の山です。

92 サヴァリン・インテグラルは、いくつもの観点から説明することが可能です。次の図で示しているように、サヴァリン・インテグラルは永遠に生成状態にあります。

93 集合的サヴァリンは、個別化された意識のすべての表現を横断する二元性の生徒です。それが、二元性の中で複数のレベルと複数の転生に住んでいるサヴァリンの実態(アイデンティティ)です。サヴァリンは、二元性の中のインテグラルである集合的サヴァリンと、その経験(情報)を共有します。二元と非二元の二つの世界を融合させるという感覚を吹き込みながら、二元性の中で意識の新たなレベルへと、そのフラクタルな性質を進化・拡大させるのをサヴァリン・インテグラルに可能とさせるのは、その経験と情報の共有です。

94 それはまるで彫刻されるのを待っている巨大な大理石の塊のようであり、サヴァリンの一人ひとりが芸術家なのです。中にはノミを手に取り、一度だけ叩いて後ずさりする者もいます。ノミを握ることもせず、代わりにアイディアをスケッチしてばかりで、大理石(集合的ソーシャルプログラム)の上に意識的な印象を与える準備ができていない者もいます。大理石から何が出てくるのか念入りに観察してはいるものの、それに傷をつけてしまうことを恐れて、ノミを取るのに興味を持てない者もいます。自分の努力の結果、曲線など何らかの徴が現れるまで大理石を打ち続ける者もいるでしょう。

サヴァリン・インテグラルの意識

95 サヴァリン・インテグラルは、すべてのサヴァリンによって創造されるが故に、正に完全に主観的なものです。サヴァリン・インテグラルとは、すべての種族、すべてのレベル、すべての人生から成る無限の数の「アーティストたち」によって表現される、共同製作的な創造プロジェクトのように、サヴァリンたちが生み出している集合意識なのです。この文脈では、サヴァリン・インテグラルは未知なるものですが、想像力を通して、ある程度は知ることができます。サヴァリン・インテグラルは二元性の中では常に進化し、意識の非二元性においては不変です。このダイナミックに拡大する進化し不変なるものは存在の両極を表現し、それがサヴァリン・インテグラルの意識を通じて同時に表現されます。

96 サヴァリン・インテグラルという言葉を定義する上での本当の課題は、すでに述べたこと以外には、私たち人間の世界にほとんど存在しないということです。文化の中を歩み、集合的なソーシャルプログラムを眺めている時、サヴァリン・インテグラルは存在せず、説明することもできません。かろうじて鼓動しているだけです。サヴァリン・インテグラルの相対的不在は、意味と目的を求める人間の旅にとって真の逆風です。この状態をどのように変えれば、サヴァリン・インテグラルが私たちの人間文化の中で活気に満ちた目に見える存在となるのでしょうか?

97 少なくとも私の視点において、サヴァリン・インテグラルを理解するためのカギは、私たちの信念や意図の中でそれを想像することです。これは、活気溢れる中心(ホスト)(サヴァリン・インテグラル)が私たちの人生に歩み出て、人間存在のアバター・代理であるボディ-エゴ、ハートとマインドと対等になるために必要なことです。この対等に混じり合うという感覚によって、対等なパートナーとして足並みが揃うのです。私たち人間の経験全体に整合性と平等性をもたらすことができるのは、サヴァリン・インテグラル、想像上の存在(イマジナリービーイング)です。これは、単なるサヴァリン・インテグラルの目的だけではなく、実は最も広い意味での人生の意味なのかもしれません。

98 人間のリアリティの中におけるサヴァリン・インテグラルの一面には、進化させたいと言う欲求があります。それは、思考、言葉、イメージ、音、行動、色彩など、意図という魔法の能力を使って可能性を拡大する新しい文化を創造することです。その新しい文化は、科学、技術、教育、政府、宗教によって想定され、創造されたものではありません。霊性によって生み出されるものですらありません。その文化は、アーティストたちが牽引するものです。それは、サヴァリン・インテグラルが生きて呼吸できる空間であり、愛と自由意志という二つの行動に視点を与えます。*15

*15 その二つの行動は、セクション6:結論に定義されています。

99 先に述べたように、人類は意識の筆記者になるための進化の過程にあります。私たちは、サヴァリン・インテグラルを表現し、それを文化の中心に据えることができる唯一の種族なのです。筆記者はアーティストです。アートの種類が異なるだけです。それは、想像力と具現化という芸術です。それは、人類が自然やテクノロジーと調和して生きることができるように、サヴァリン・インテグラルにヴィジョンを投影することです。

100 ここでいうアーティストとは、崇高な意図をもってサヴァリン・インテグラルのかすかな輪郭を想像し、それを自らの人生の中で表現できる人のことです。それがすべてです。物理学者でありアーティスト、公務員でありアーティスト、弁護士でありアーティスト、失業者でありアーティスト、母親でありアーティスト、子供でありアーティストになり得ます。高貴なマインドとそこにある「想像力」にアクセスする意図を実践していることが重要なのです。アートは私たちの人生を通して生まれ、私たちの集合的なソーシャルプログラムは、各アーティストの決意とコミットメントによって新たな可能性へと広がります。

101 私たちの現在のモデルや信念は私たちの意図が発露したものであり、それはほとんどボディ-エゴの表現です。つまり、これまでの人間の文化から派生したものなのです。人類の文化史を出発点として、可能性を広げる新しい世界をもたらすことができるのでしょうか?

102 それはゆっくりと活動します。膨大な時間をかけて展開されるものです。しかし、これは極めて重要なことですが、サヴァリンである私たちは、いつでも、どの時点でもシフトすることができます。私たちはサヴァリン・インテグラルが自らのコアセルフであることを想像し、そのシフトが私たちの人生経験において何を意味するのかを想像することができます。それが意図の「糸」となり、思考、感情、活動として私たちの人生に織り込まれるのです。その意図は相互的なものです。つまり、どんなに朧気なフィーリングと理解だとしても、それはサヴァリン・インテグラルの表現(意図)であり経験(顕在化)でもあるのです。それは、ボディ-エゴへの受信であり、ソーシャルプログラムへの表現でもあります。

103 サヴァリン・インテグラルの意識との一体化は、それが不完全でそのピクセルが低解像度であったとしても、自分たちが何者であるかという境界を視認させ、それが成された時、その境界が消え去ります。自らの人生における、すべての現在性(ナウネス)の中で、サヴァリン・インテグラルにならんとする意図の鼓動(ドラムビート)になるのです。この意図と信念がサヴァリン・インテグラルの意識を引き寄せるものであり、それにより私たちは人間のすべての弱さとそこにある挑戦へと向かうのです。奇妙な混合物に見えるのかもしれませんが、非二元性と二元性が入り混じったものが、人間の体験なのです。

104 下記の図で、意識の一般的な構造を説明しようと試みています。意識とは、複数のレベルと転生(ライフタイム)にまたがり、数を特定したり説明したりするにはあまりにも多く、多様です。意識の「足跡」は、創造主のレベルからボディ-エゴへと移動し、体内を循環する血液のように、これらの構造の要素の間を流れます。

105 意識は、それ自体がリアリティなのです。意識は複数のレベルと転生の間を流れるひとつのリアリティであり、それらを統合し、意味と目的の中に整合させます。意識は、無限に神秘的な創造主の内から生まれ、一なる意識─たったひとつのサヴァリンの意識の中を流れる回路です。ボディ-エゴとソーシャルプログラムへと入り、そこで学んだことを取り込んで、創造主へと返すことで回路は完成されます。これが常に発しているのです。これは頂点へと極まる一連の出来事ではありません。むしろ、二元性という上下する波の中で恒常的に起きています。サヴァリン・インテグラルのアイデンティティを私たちの意識の結合点として私たち一人ひとりがイマジネーションの眼で捉えることができます。それは、サヴァリンの意識のすべての要素を結びつけるフォースであり、個別化されながらも結合状態を維持します。

106 その起源を覗き込むと、構造が徐々に分かりづらくなっていきます。創造主は不可知なるもの、無限に神秘なるものです。そしてサヴァリンという存在と、インテグラルとサヴァリン・インテグラルがその性質においてフラクタルであることを考慮すると(そのスケールは無数のレベルを無限に含んでいます)、創造主の意識もまたフラクタルです。これは、スケールが無限であり、他の全てのフラクタルな概念を含んでいることを意味します。そのような力と広がり、広大さ、無限の性質を持つものは、一人の人間の生命や一人のサヴァリン、ひとつのインテグラル、そしてサヴァリン・インテグラルにさえ収まることはできません。創造主の内に含まれているのは、そういう性質のものなのです。意識の一般的なモデル(Fig. 10)という図において、真に私たちが究極的に整合し、意識の一部となることを意味するフラクタルな概念を表せているかもしれません。

107 一個のボディ-エゴに宿っているサヴァリン・インテグラルは、「人生」と私たちが呼んでいる絵筆を振るうやり方を知っています。とりわけ、そのボディ-エゴがその人生のコントロールを意識的にサヴァリンとインテグラルに解放する時にその絵筆は円滑に動きます。その絵筆がサヴァリン・インテグラルの意識によって活性化されるからです。その活性化とは、自由意志とコミットメントです。オン・オフを切り替えるスイッチを操る手はありません。決断が下され、拡大が喚起され、コミットメントが固まり、永遠なるヴィジョンが人生の中で広がり、深まっていくのです。

108 集合的な意味での二元性のサヴァリンと二元性のインテグラルの間には溝がありますが、しかし、この溝は減少していきます。サヴァリン・インテグラルは、ボディ-エゴの中に顕在化すると、サヴァリンとインテグラルに分裂します。二つは分れるのです。反対の性質に分れるのです。このことは、個人にも集団にも言えることです。したがって、ソーシャルプログラムは、人間の文化に浸透している分離感、混乱、不確実性を永続させることになります。

109 全体的で統合的な意識に気づき、それに敏感になるという選択は人間として最も重要な選択です。次の重要な一連の選択の開始点(インセプション・ポイント)となるものだからです。例えば、この意識をどのような方法で体験し、表現するか、あるいは、私たちだけができるものとして、人間の形をしたままこの意識になることを選択するか、あるいは、サヴァリン・インテグラルの愛を制限や条件なしに二元性の領域に表現することを選択するか、などです。

110 私たちの自由意志は、気づかないことも、気づくこともできる機会を与えてくれます。全体から分離するか、あるいは全体の一部となるか。私たちは、サヴァリンなのです。私たちの選択は私たちが行うものです。しかし私たちはインテグラルでもあるので、私たちの選択は、たとえ微妙であっても、すべての種族、すべてのレベル、すべての転生から影響を受けます。選択が開始点であり、意図や信念が起点なのではありません。意図や信念は選択に続くものです。人生はひとつの芸術の形式であり、すべてのアーティストが言うように、すべての筆の一振り、ノミの一撃は共に選択であり、非選択(降伏)、あるいはその両者の合作です。それらはサヴァリンとインテグラルの両方によって命を吹き込まれます。

インテグラルの序曲

私は、すべてのシステムのワンネスです。ただそれだけです。
私は、概念、言葉、光、音から出来てはいません。
一切の具現はしないのです。私はただのワンネスです。
それだけが私の状態です。
それが私の唯ひとつの世界なのです。

私がそうなのですから、あなたもまた、そうなのです。
私の世界には除外されるものはありません。
でなければ、私はまったく存在しません。

あなたは、私の世界の中にしっかりと織り込まれています。
あなたは私の中に包まれています。
それ故に、あなたは私が動き、
飛び立つための翼なのです。

セクション4 ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムの三位一体:一般的なモデル

111 ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムは先のセクションで述べたたように、サヴァリン・インテグラルの三位一体(トライアド)の微かな残響である体験です。両者のケース共、この三つのパーツは相互に関連し合い、集合体として機能しています。それ故に、ボディ-エゴとソーシャルプログラムを切り離すことは難しいのですが、このセクションでは、それらを切り離すことに全力を尽くします。

112 ソーシャルプログラムは経験的な観点から、サヴァリンの経験とインテグラルの経験の二つの部分を持っていることに留意して下さい。ソーシャルプログラムとは主観的な個人の経験と主観的な集団の経験の両方を表し、個人が社会秩序との整合性とその中での居場所を見つけることができるように、それらを混在させるものです。集合的なソーシャルプログラムは、インテグラルの三次元的表現であり、人類という種族、そしてある程度はすべての種族をつなぐテクノロジーへの依存が高まっています。

113 身体(ボディ)は、個別化されたマインドであるサヴァリンが、二元性を体験し、種族を存続させるために用いている物理的な装置です。ボディとは、物理的な身体とその神経系のことです。人間で言えば五感であり、他の種族も似たような感覚系を持っているのでしょうが、時空や遺伝といった独自な混ざり合いによって、それぞれ異なるものとなっています。それには、目と脳のような体の構成要素同士の関係も含まれます。こういったシステムのもっと支配的なサブシステムによって、ソーシャルプログラムは育まれ、ある程度、社会秩序に適合し、そこへ貢献する価値ある個人となるための術をエゴに教育します。

114 エゴは、集合的なソーシャルプログラムに対する反応として発達し、それ故にインテグラルの影響力を現します。エゴは保護と相互接続の両方の機能を持っています。その保護者の役割に関してエゴは、自己が完全に独自な存在であることから感じる不調和と、そこにある社会的判断からサヴァリンを保護します。エゴが独自性の根拠を作り出すわけです。相互接続の役割という点では、エゴは共感と人間的な慈愛の能力を行使します。人間の愛がエゴの究極の目標(ゴール)です。

115 ボディとは体験する者です。ボディとは感覚の世界へと引き込む者であり、その一方でエゴは、ボディからのインプットをソーシャルプログラムの中で何かを成し遂げるに値する教育価値があるか否かを見極めます。エゴはボディによってソーシャルプログラムからもたらされた学びから、常に何かを成し遂げようとしています。この達成への欲求が競争の原動力となります。ソーシャルプログラムのすべてに限界があると認識されているため、ボディとエゴは生き残るためにソーシャルプログラムの中で競争しなければなりません。

116 つまり、ソーシャルプログラムとは、ボディ-エゴが生き残り、さらには繁栄するための報酬のメカニズムなのです。これは他の種族と同様に人間にも言えることです。愛と注目が地球上で最も価値のあるものと考えられているため、その分野では競争が最も激しいと認識されています。ゴールド、株式、デジタル通貨、マネー、水など、もっと具体性があるアイテムは限りあるものと考えられていますが、その一方で人間の脳は、資産を無意識のうちに種族の一員としての究極の達成にあまり重要でないと認識しています。そのため家族間で争いが起こることもあります。愛や注目を求めるあまり、それも限られたものであり、達成できない可能性さえあると考えられているからです。

117 ソーシャルプログラムは、集団や家族、あるいは個人の人間生活の分野にとどまりません。地球規模、太陽系規模、銀河規模などにも及び、その範囲には定義がありません。集合的なソーシャルプログラムは、望遠鏡や数学によって可能になる視野であるだけでなく、ソーシャルプログラムが構築される場そのものでもあります。それはインテグラルそのものであり、無限の性質の中で、感情的な学習と私たちの宇宙の知性を含んでいます。特定の時間と場所の種族に限られたものではありません。私たちの宇宙全体がその範囲なのです。

118 ボディ-エゴは、ボディ-エゴというアイデンティティとサヴァリン・インテグラルとの間にある分離点です。そこには選択の余地があります。私たちはこの根本的な選択を意識していないかもしれませんが、それでもサヴァリンが単独で行う選択なのです。それがサヴァリンの手に委ねられた唯一の決定であり、他のすべての決定はインテグラルとの共同作業です。

119 この最も基本的な決断が、曖昧に理解され、あるいはまったく知られておらず、時には完全に誤解されています。興味深いのは、ボディ-エゴがサヴァリン・インテグラルの意識を自らのボディ-エゴの意識に招待し、それを自分の人生に浸透させ、対等なパートナーとして混ざり合うようにする場合にのみ、その決定が起こるということです。しかしそれは、ボディ-エゴが少なくともフラクタルな意識を招きたいという意図を拡大し、その意図を持ち続けてサヴァリン・インテグラルについての漠然とした理解を持っている場合にのみ可能です。招き入れる意識とは不滅のセルフの意識であり、人間が造った組織化されたヴァージョンではありません。

120 ソーシャルプログラムの一部としてそれが起こっているのです。過去数百万年にわたって、その基本的な役割を果たしたのは当時の霊性でした。時には異教、シャーマニズム、組織化された宗教、哲学、またはそれらすべてでした。私たちは、スピリチュアルか、非スピリチュアルであるかを決定し、自分の生活の中でスピリチュアルか、非スピリチュアルであるかという視点を身に着けます。私たちは自らを、ソーシャルプログラムに同調したボディ-エゴとして認識するか、あるいは歓迎される存在であるサヴァリン・インテグラルの意識の延長線上にあるボディ-エゴとして認識するかということが、本当の決断であるということを教えられていなかったのです。

121 ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムの中に包まれているものは、サヴァリンやインテグラルでないものすべてを包含しています。サヴァリンとインテグラルは二元性の世界の中において、フラクタルな、すべてのレベルと転生に及ぶ唯一のアイデンティティであり続けています。それ以外のすべてのもの─絶対的にすべてが、ソーシャルプログラムとボディ-エゴに縛りつけられています。

122 現実の本当の姿を覆い隠す目的で、何百万年もかけて進化してきた二元性の世界の意識の要素には多くの名前があります。私たちは分離した存在ではないという事実を、それらの要素は覆い隠そうとしてきました。偶然や神の介入という未知の知性によって、この場所に置かれ、進化してきた、生きて死ぬ、肉体的存在であるという欺瞞(ヴェール)によって。これらのヴェールは、高度に進化し、微妙に作動しながらも、潜在意識と集合的無意識という二つの要素で構成されています。

123 潜在意識はサヴァリンに、集合的無意識はインテグラルにつながっています。これらは共に、ボディ(潜在意識)とエゴ(集合的無意識)とその高次元の対応物(サヴァリンとインテグラル)を結ぶ橋の最初の部分を形成しています。潜在意識と集合的無意識は、サヴァリン・インテグラルのリアリティをヴェールで覆い隠し、その存在を維持しながら、同時に減衰させています。

124 脳とつながっているマインドは、二元性の世界で生き残るため、そしておそらく繁栄するために、ボディに使役されています。マインドは、ソーシャルプログラムの中で人類がほとんど何も知らない部分です。私たちは通常、思考を脳という器官に委ね、それが思考の実行者であり、マインドがその発生源であると信じています。

125 しかし、マインドとはどこに存在するのでしょうか? 思考を考える者は? 脳がどこにあるのかは、誰でも知っています。しかし、マインドはもっと儚く、その形と機能は幽霊のようなものです。マインドとは、知性とハートのインターフェイスです。脳は物理的な心臓と比較的原始的なインターフェイスを持ちますが、心臓の非物理的なエネルギーである「エナジェティック・ハート」とインターフェイスを持つのがマインドです。これはあらゆる意味で「上なる如く、下もまた然り」という格言を反映した意識の潜在システムです。

126 ハートとマインドの重なり(マンドルラ)は、ボディ-エゴとノーブルマインド、そしてそこにある想像力との間にあるインターフェイスです。これらの潜在システムに相対的な調和と整合を拡大していくことが二元性の世界における主たる目的です。それが二元性の世界と人間の文化の中のサヴァリン・インテグラルの開始点なのです。人類の歴史を通じて、己自身のメソッドと彼ら自身の信念体系(ソーシャルプログラム)を用いて、その調和と整合を達成した人々が存在します。

127 仮に10億の人間が同じ宗教と哲学を信じていたとしても、その独自の人生の軌道、自らの全体性自己(トータルセルフ)を潜在意識で理解した結果として、彼らの信念体系には顕著な相違が生じます。仲間内であったとしても、批判や判断を招くのは、その信念の相違とそれに基づく行為であり、それによって全体像にエゴが入り込むことになります。子どもの人生の中で教育が始まる時、それが非常な激しさを持って起きます。

128 エゴは、ソーシャルプログラムによる感情的な傷を保護します。自分自身、あるいは他の人からの判断、不完全であるという認識、強迫観念的な不安という形になってそれはボディ-エゴに伝わります。この繰り返し打ち寄せる「風」がエゴの形成を助けます。これが唯一の力ではありませんが、ネガティブなソースから届く重要なものです。ポジティブなソースは、成功、承認、愛、達成といった要素です。ニュートラルなソースとしては、孤立、満足、霊感などがあります。

129 これらのポジティブ、ネガティブ、ニュートラルな力が、絶え間なく満ち引きしています。ほとんどの人の人生において、人は風に吹かれた落ち葉のように動いています。あるときは穏やかに渦を巻き、あるときはハリケーンにあおられ、あるときは眠るように地面に横たわり、あるときは快適さからはかけ離れた奇妙な方向へ引っ張られます。原因と結果を何と呼ぼうともエゴを駆り立てるものはコントロールを失ったという認識から生じます。コントロールしたいが、その方法が分からない。それがエゴを守りに入らせます。

130 次の図は、非二元の世界と二元の世界の関係を示したものです。

131 すべての人生には、サヴァリンとインテグラルに感謝する機会があります。インテグラルは、「メンタリング・ユニバース」*16であり、サヴァリンは二元性の生徒です。この二つの交流には、調和とバランスがあります。純粋なコラボレーションが。ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムは、それを無意識に理解しています。サヴァリンとインテグラルが二元的に存在するマンドルラ*17(重なり合う部分)は、ソーシャルプログラムが拡大し、統一し、理解することが歓迎される空間となるよう設計されている場所です。これを可能にするのは、サヴァリン・インテグラルそのものと同じように、ボディ-エゴです。

*16 パラグラフ147に定義があります。

*17 ヴェシカ・パイシスは、人類の信仰と文化の歴史に深く刻まれている古代のシンボルです。このシンボルは、二つの相反するもの、または明確に異なる状態が交差し、重なり合うことを表しています。これはインテグラルのシンボルです。これは、おそらくあらゆる集合的無意識のシンボルの中で最も強いものとして、常に見え隠れしながら、人間の時間の中で浸透してきました。

132 大抵、ソーシャルプログラムには多くのものがあり、その一つとして、私たちはシミュレーションの中に住んでいるというものが人気を得ているように見えます。この宇宙のどこかにいる高度な生物が、おそらく数百万年前に私たちのようなコンピュータ技術を作り、神を演じる能力を与え、人間の魂が作り物の世界で人形のように翻弄される架空の世界を作り出した、というものです。

133 通常、この信念や仮説の正当性は、コンピュータやソフトウェア技術の加速度が指数関数的に際限なく高まっているように見えることから来ています。わずか数世代にわたってコンピュータ技術の舵取りをしてきた私たちの種族でさえも、すでに人工知能、量子コンピュータ、メタバース、仮想現実の入り口に立っています。私たちはすでにこの新しい世界を想像することができ、技術者たちは喜んで私たちをその世界に導いてくれるでしょう。そして、人工知能を何百世代、何千世代もかけて導入した種族は、現実と区別のつかないシミュレーション世界を作ることができるに違いないでしょう。

134 時間というレンズの下で、進化が起こります。進化によって、サヴァリン・インテグラルの意識への同調はどんどん加速されていきます。しかしこの旅は、分離点からサヴァリン・インテグラルの意識へと一直線に伸びる道ではないのです。集合的なソーシャルプログラムは、集合的な瞬間の中において私たちのリアリティに織り込まれるすべての紆余曲折を取り込みながら、私たち全員が通る道なのです。多次元宇宙は人工知能では生成できないほど大きく、ダイナミックに拡大しており、これは非二元性の存在の結果です。人工知能は二進法(バイナリー)です。それは二元性の領域であり、この時空では成熟したAIは確かに現実と見分けがつかないシミュレーションを作成することができます。しかし、AIはその知性を非二元性まで拡張することはできません。

135 サヴァリン・インテグラルが全体である世界、その中では自分自身を意識することができます。そしてその世界ではサヴァリンとインテグラルは対等な関係性で結合しています。そこは相反するものが調和の中で収束する場所です。そこは理解が可能な場所です。それは、非二元が二元へと別れる源泉です。もしそれが逆で、二元的なものが非二元的なものを作り出せるとしたら、AIは理論上、私たちのリアリティ全体のシミュレーションを作ることができるでしょう。しかし、一が多を生むのであって、その逆はありません。それが創造の流れなのです。

136 ソーシャルプログラムはシミュレーションではなく、集団で体験し、目覚め、拡大し、理解するための「器としての場(ヴェセル・フィールド)」なのです。ヴェセル・フィールドは、各々のレベルにおけるすべての創造物です。それは進化する無限です。理解の最大範囲において、それはインテグラルの視点にサヴァリンが加わるコラボレーションです。それは、二元性の体験の果実を収穫し、分け合うということです。

137 ボディ-エゴの基本的な目的は、サヴァリン・インテグラルが二元性の世界を経験するための分離点を可能にすることです。集合的なソーシャルプログラムは有機的な部分と、数学的な部分があります。ハートとマインド。エネルギーの受信と送信。ボディ-エゴはサヴァリン・インテグラルの接合部品(リベット)を引き抜き、複数のレベルと転生の中で分離して生きることを可能します。それがすべて、種族における個人と集合的ユニット双方にとってのソーシャルプログラムになります。

138 ここで、シミュレーションが一個のボディ-エゴ-ソーシャルプログラムを作り出すことができることを想像してみてください。あまつさえ、二元的な世界と非二元的な世界を横断する、ダイナミックに展開する無限のボディ-エゴ-ソーシャルプログラムを作り出すことができると。サヴァリン・インテグラルの前提に同意するのであれば、リアリティは集団で作られるものであり、個人または同じ考えを持つ集団が、いかに知的で技術力のあるものであっても、それは不可能であることは明らかです。ソーシャルプログラムはすべてを網羅するものです。それは、サヴァリン・インテグラルの意識の分離点を生み出すために必要なことです。それが、ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムからの贈り物なのです。

139 それは、包みを開封して理解することで真に感謝される贈り物です。

ボディ-エゴ-ソーシャルプログラム

セクション5 グロッサリー

次に挙げる用語はグロッサリーには含まれておりません。しかしながら、これらの用語はこの論文の完全なセクションとして定義されています。(この用語集を読む前に、この論文の最初の四つのセクションを読むことをお勧めします)

  • ボディ-エゴ-ソーシャルプログラム
  • サヴァリン
  • インテグラル
  • サヴァリン・インテグラル

グロッサリーの定義は、二次的な影響力を持つ短いセクションでありながら、サヴァリン・インテグラルという存在モデルを理解するための基本的なものだと考えることができます。これらの用語の多くは、二元性の世界におけるボディ-エゴ-ソーシャルプログラムとサヴァリン・インテグラルというコンセプトの架け橋となるものです。それぞれの定義が互いに関連しているため、アルファベット順にはなっておりません。

140 想像上の存在(イマジナリービーイング)(Imaginary Being):これは、想像力という「眼」を通して理解するという意味でサヴァリン・インテグラルを描写する用語です。これはサヴァリン・インテグラルそのものではありませんが、ハイアーマインドが理解できるその全体性のクリアな部分であり、その意識の状態を、一目見て、直感的につかんだ理解をボディ-エゴに伝えます。しかしながら、空間、時間、エネルギー、物質、そしてそれらを支える二元性の基盤に縛られたままの抽象性が存在します。人間のリアリティを規定するこれらの形成的な構造を完全に分離することはできないのです。その結果、サヴァリン・インテグラルを人間のリアリティに持ち込むと、それは概念として現れます。それは歩いたり、話したり、考えたり、行動したりする存在ではありません。サヴァリン・インテグラルもイマジナリービーイングも、人間のリアリティの中で喩えられるものは何も存在しません。

141 分離点(ボディ-エゴが誘発する)と相まって、包括的なソーシャルプログラムは誤解をもたらし、このイマジナリービーイングの存在を否定することを可能にします。その代わりに、薬物による体験、体外離脱、臨死体験、地球外体験、心霊体験、アストラルトラベル、宗教的エクスタシー、歓喜の光、涅槃、至福、宇宙意識、自己実現などの現象を通して、サヴァリン・インテグラルの意識がもたらされると結論付けるのです。これらの体験はすべて、ソーシャルプログラムの一部のままなのです。イマジナリービーイングは、概念、メンタルモデル、抽象化として私たちにもたらされ、それらは芸術や文化そのものを通して表現されます。イマジナリービーイングは、生きている地球上でサヴァリン・インテグラルを明らかにするために用いることができる私たちのソーシャルプログラムの一部です。

142 イマジナリービーイングは、ひとつの概念です。イメージではありません。代名詞を身にまとった存在ではないのです。それは範囲が非常に広い概念であるため、サヴァリン・インテグラルの視点をソーシャルプログラムに招待するためには、先入観を持たないサヴァリンだけがその概念を十分に理解することができます。これは、深遠な無限の覚醒の創造であり、即座に実現する(「パッと見てわかる」)ものではありません。

143 想像力は現代人にとって最悪の場合、嘘、おとぎ話、悪魔の誘惑、狂気のレンズとして認識され、最良の場合では、発見と発明への入り口として認識されてきました。この論文の文脈では想像力とは、人間の信念、文化、集合的学習を包含する周辺のヴィジョンのことです。それは、その境界を越えて未知のものに目を向け、その未知のものが何であるかを想像する訓練です。それは私たちを結びつけ、私たちをつなぎ、私たちを意味付け、そして何らかの形で、その核となる本質において、存在するすべてのものが一粒に蒸留されたものです。すなわち愛に。それが私たちを一つにし、縫い合わせている独創性(オリジナリティ)の糸です。

144 インテグラルとは、愛の粒子のようなものです。サヴァリンとは、この粒子を表現するための器です。非二元の世界で共存するインテグラルとサヴァリンは、想像力によって二元性の世界へと屈折していきます。想像力とは二元性の密度を通り抜けたサヴァリン・インテグラルが、ボディ-エゴと接するためのインターフェイスです。このインターフェイスを、すべてではないにせよ、ほとんどの人が十分に活用できていません。

145 例えば、あなたが千台のテレビ画面の前に座っているとします。その遥か片隅の、千枚のスクリーンのうち一枚に、サヴァリン・インテグラルのコンセプトが映し出されています。このコンセプトを示すために、それが映し出されている画面をもっと増やすか、それとも注意の焦点となるスクリーンを中央に配置するかを決定します。サヴァリン・インテグラルの経験と表現に対して、より多くのスクリーンをオンにすることも、それを無視してボディ-エゴ-ソーシャルプログラムに同調し続けることもできます。ある決断が「間違った」決断であるという判断はありません。仮に、正しいとか間違っているというものが存在するならば、全体は全体たりえません。この誤解がシステムに二元性をもたらし、イマジナリービーイングは人間としての存在の非二元性を表しています。

146 その決定を可能とするものは想像力です。それが想像力の主たる目的です。想像力が、ボディ-エゴをサヴァリン・インテグラルへとアクセスさせることを可能とし、その概念をソーシャルプログラムの中で対等の位置へと確立させます。しかしそれは常にサヴァリンの選択です。等価性という概念(コンセプト)を、「パラダイム」として受け容れることは、人間の二元性の中においてはチャレンジングなことです。支配的でもなく、不在でもない、むしろソーシャルプログラムのパートナーとしての位置に等価性を立たせるのは二元性の人間には挑戦的なのです。同じ数の「スクリーン」が、その存在をリアルなものとしてその実在を表現しています。素晴らしい何か。私たち一人ひとりである何か。

イマジナリービーイング

147 メンタリング・ユニバース(Mentoring Universe):知識の共有は、すべてのレベルにおいて成長と拡大の基本的な目的であるため、メンタリング・マルチバースと定義することも容易に可能です。それはインテグラルがサヴァリンに呼びかけるための方法です。成長と理解を促進するために用いられる方法なのです。しかしながら、私たちの主観的な性質の結果として、私たちのそれぞれが共通の経験を持たないサヴァリンであるという事実のために、真実、ましてや叡智を指導することなど困難です。

148 まったく同じ出来事をまったく同じ時間と場所で経験したとしても、それは同じ経験ではありません。これは現在の瞬間が、すべてのレベルと転生にわたる過去と未来の現在の瞬間の影響を受けるためです。これらの影響が、様々な密度と行動上の優先度となって潜在意識の中に蓄積されます。したがって、私たちは特定のレベルと転生の中で、その瞬間の自分にとっての真実であるとみなす意見しか指導することができないのです。

149 この大前提が私たちの謙虚な性格を導き、未知の新しいヴィジョン、つまり二元性へと表現できるサヴァリン・インテグラルの新しい一面(ファセット)に対して想像力を開放し続けます。

150 人間のソーシャルプログラムには、常に教師(メンター)と生徒がいます。メンターは、自分が得意とする特定の学習経路に引き寄せられ、その深い理解から、何かを達成したり経験したりする方法についての意見を共有します。それが主観的なものであり、二元性のサヴァリン、つまり生徒が理解する問題であるため、メンターは、なぜ何かが達成または経験できるのか、その理由を伝えないかもしれません。とはいえ、メンターが自分にとっての理由やモチベーションを共有することはあるかもしれません。メンターがそれを述べる際、その理由が価値観の延長線上にあることを明確にすることができます。そうでなければ、私たちはモデルとなっている学習経路に内在する価値を理解せずに指導していることになります。

151 メンタリング・ユニバースとは、世代を超えた知識が共有される宇宙のことです。インターネットが存在するのも、出版が発明されたのも、同じ志を持つ人々が常に集団に引き寄せられるのも、家族が社会の単位として存在するのも、その理由の一つです。それが時空や二元性を超えて、進化(インテグラルの手)が受け継がれていく方法なのです。世代は巨大なメンターであり、集合意識の中に格納されて二元性の世界の中で生きています。これは、すべての種族に共通して言えることです。

152 世代間では、しばしば競争が感じられます。新しい世代は、古い世代が自分たちの世代の願望や才能をほとんど理解していないと認識し、世代間の相互不信を生み出しています。それにもかかわらず、ソーシャルプログラムで経験を積み、来るべき新しい世代のためにその基盤を改善してきたのは古い世代なのです。「ガードレール」は古い世代によって設置されてきましたが、効率性を高め、私たちが住んでいる世界をより広く理解するための道も開いてきました。

153 メンターとして、自分自身や場合によっては他の人に教えたいテーマを決めなければなりません。現在の記録を検証し、そして原則を用いて、対象が生来持っている価値を検証するのです。その価値は、私たちの知性や自由意志と一致しているのだろうか? 人類の歴史を、広げたと感じるか、あるいはそれに溶接されたと感じるのか? これはメンタリングの一部であり、意図、思考、コミュニケーション、行動を通じて、私たちが生きる価値を教育指導(メンタリング)することを担保します。

154 理解すべき重要な要素は、サヴァリンが生徒であると同時に指導者であるということです。メンタリングは、ソーシャルプログラムを通じてインテグラルの「スクリーン」で行われます。私たちは自分自身を教えています。私たちはどの年齢でも、生徒であると同時に指導者(メンター)でもあるのです。外部の指導者 (両親、兄弟、その他の特定分野の専門家) がいる場合もありますが、サヴァリンにとって何が価値があるのか、最終的に判断するのはサヴァリンです。価値とは、メンタリング・ユニバースの根底にある特質であり、私たちの多くは人間という存在を背景に価値を定義しています。それは、イマジナリービーイングが、私たちの生活の中に存在していることに対する価値ではありません。

155 その価値に基づいて自分自身を指導するならば、サヴァリン・インテグラルが私たちの人間世界に入ることを許可したことになります。その後、私たちは有意義な方法で「意識の筆記者」に参画することができるのです。サヴァリン・インテグラル・ネットワークのノードとして、人間として生きるために。このパラグラフの中に、人類が存在するための決意表明(ミッション・ステイトメント)があります。

156 意識の筆記者(Scribes of Consciousness):サヴァリンの誕生当初、彼らは比較的単純な生命体であり、自然界における子孫繁栄と生存に主眼を置いたボディ-エゴ-ソーシャルプログラムを持っていました。生存と繁栄に主眼をおいたインテグラルが種族の本能になりました。それがマインドの最高の形態であったからです。しかし、それだけではボディ-エゴにとってインテグラルは永遠に未知なままだったでしょう。それ故に、「不可知なるもの」(創造主)が真にこの惑星に入ることはできなかったはずです。

157 よってインテグラルは、進化の手として迅速に(地質学的な時間の尺度において)、哺乳類という高等生物の条件の設定を行いました。しかしながら哺乳類は、サヴァリンともインテグラルとも、イマジナリービーイングともコミュニケーションすることができませんでした。また、そのようなニュアンスのある体験や概念を伝える手段も不足していました。インテグラルは、その開始点において、イマジナリービーイングを体験し、その体験を伝えることを可能とするボディ-エゴ-ソーシャルプログラムを創造するために播種されました。これを行う種族は、自然から分岐する必要があるでしょう。自然から孤立し、より複雑なボディ-エゴによって突き動かされる人間中心のソーシャルプログラムに没頭するために。それは本当の意味で、私たちの惑星がすべてのサヴァリンへの贈り物だったのです。

158 人間は、「意識の筆記者」として知られる種族になりました。生きている惑星上において、サヴァリン・インテグラルのフラクタル意識を、惑星存在の二次元および三次元のリアリティに持ち込むことができる唯一の種族です。地球は、自然と人間の両方を受け入れています。どの種族にも偏見や特権が及ぶことはありません。それは集合的でありながら、ひとつの惑星に収められた意識です。地球は、種族として人類がその役割と目的において異なることを認識しています。意識の筆記者である人間は、二元性の世界で自分自身を説明するように設計されたサヴァリン・インテグラルによる手工芸品です。そうでなければ、サヴァリン・インテグラルの意識は認識されず、感じられず、理解されず、重要であると見なされないでしょう。それは無名のまま衰えて、無限は本能的に感じられるだけでしょう。まるで遠い残響のように。

159 意識の筆記者は、人類の重要な役割です。「筆記(スクライブ)」という言葉は、言語中心の活動を連想させますが、実際には、文化やその価値観を表現することを意味します。どの文化のために生きるのか、どんな内容を表現するのか、その表現がどのように私たちの世界で現実のものとなるのか、なぜそれを表現するのか、それを決めるのは私たちです。

160 言葉の最も広義な意味において、あなたが人間であるならば、意識の筆記者のメンバーということになります。それは排他的なクラブではありません。あなたが表現しているものが何であれ、それはグローバルなマイクロカルチャーの一部となり、集合的無意識の一部でもあるのです。一部の筆記者が注目することになる反復表現が歴史に刻まれ、集合無意識に進化的な広がりをもたらします。他の筆記者が注目するような反射的な性質があり、それはいわば社会的な論評です。そこには魂、意識、スピリット、神、愛の表現があります。私たちの文化の知識と理解の感覚を拡大する計測器という科学があります。また、私たちの無限の性質であるインテグラルを手招きするイマジナリービーイングの表現もあります。それぞれが同じ価値を持つ筆記者であり、多くも少なくもなく、高くも低くもなく、良くも悪くもありません。各々の筆記者の貢献度は同等なのです。

161 筆記者の拡大影響は、サヴァリン・インテグラルの理解の程度に依存します。誰もがヴィジョンを持っています。目の見えない人でもサヴァリン・インテグラルを思い描くことができます。子どもは恐らく多くの大人よりも、このことを理解することができます。中には、歪んだり、かすれたり、より小さなイメージや概念に縛られたりするものもありますが、それでも誰もがヴィジョンを持っています。イマジナリービーイングが私たちのリアリティと文化の中で移動するとき、誰もが摂動と周波数を感じます。イマジナリービーイングは、二元性の世界の中でサヴァリンをインテグラルに導くため、ソーシャルプログラムの半分であるインテグラルの要素によって常にその炎を燃やしています。

162 したがって、サヴァリンは、私たちがこの存在を人間のリアリティの中へと迎え入れるところまで進化するにつれて、私たちは概念の筆記者と非二元の次元の抽象化者になることができます。私たちは、それを文化や集合意識に加えることができるのです。そうすることで、私たちが地球と呼ぶ生きている惑星に新しい文化を築くのを助けることができます。私たちは、すべてのサヴァリンが地球の新しい次元の経験へと拡大するための声となるのです。私たちはその拡大の触媒なのです。それにより私たちは、存在の開始点とその無限の拡大を調和させながら運命を生きます。

意識の筆記者

163 異次元(インターディメンジョナルフラクタル・コンセプト)(Interdimensional Fractal Concept):サヴァリンとは、一種の異次元フラクタル・コンセプト(IFC)です。インテグラル、サヴァリン・インテグラル、愛もそうです。「不可知なるもの」は異次元フラクタル・コンセプトのリストに入らず、それ故にIFCの数は不可知であることを留意してください。「不可知なるもの」は、二元性を交差しないのです。「不可知なるもの」が二元性を体験するのはIFCを通してのみです。従って、IFCとは「不可知なるもの」の器なのです。IFCの重要な特徴は、IFCは何か一つのものに内包されないということです。複数のレベルと転生を横断して作用します。既知および不可知のすべてのレベルにおいて作用します。非二元的な世界と二元的な世界の両方で、常にそのレベルを拡張しています。

164 拡大がIFCの目的です。しかし、拡大は経験的なものでなければなりません。例えば、21世紀の今、人類はメタバースと呼ばれる仮想現実や人工知能に進出しつつあります。これは、二次元空間への拡大です。多くの点において、これは四次元空間への拡大に相当するものです。どちらも三次元の時空を超えたリアリティからの拡大です。どの次元も無限の広がりを持ちますが、その開始点は同じです。メタバースに存在する生命体は、三次元のサヴァリンのアバターやデジタル・ツインであり、三次元のサヴァリンは四次元のサヴァリンのアバターである、といった具合です。これがIFCの性質です。

165 イマジナリービーイングは中間的な存在であり、ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムをサヴァリン・インテグラルと橋渡しします。イマジナリービーイングは、本当はサヴァリンな存在ではなく、サヴァリン・インテグラルの意識の投影であり、それ故にIFCではないのです。その代わり、純粋でありながら、たとえ短い時間であっても二元的に存在することができる非二元的な概念です。

166 したがって、既知の異次元フラクタル・コンセプトは、サヴァリン、インテグラル、サヴァリン・インテグラル、愛の四つしかないのです。集合的にその四つが、すべてのレベルと転生において「不可知なるもの」の器なのです。この「不可知なるもの」を含む集合的なフォースは、実はたった一つのIFCです。統合的な愛とサヴァリンの自由意志がバランスよく表現された結合的なフォースなのです。

異次元フラクタル・コンセプト

167 分離ゲーム(Separation Game):ソーシャルプログラムは、各サヴァリンの分離点によって条件付けられています。この分離点が、ボディ-エゴです。ボディ-エゴは人間の中で進化し、地球レベルでも個人レベルでも高度な社会性と相互依存性を持つようになりました。グリッドから離れて暮らすことを選択する人もいますが、それはごく例外的なことです。人類は、メタバースによって二次元の空間に潜り込み、イマジナリービーイングとインテグラルフォースの導きによって四次元の空間へと昇華する時代に突入しています。この二重の拡大は、集合的なソーシャルプログラムに深淵な影響を与えるでしょう。

168 分離ゲームにより、サヴァリンは本質的に二元である無限の多次元宇宙のすべてのレベルを探索できます。二元性の中でサヴァリンは、完全な独自性を持ちながら種族に類似した個人として独立したボディ-エゴ-ソーシャルプログラムに入ることが可能となります。この類似性が、志を同じくする人々を引き寄せるソーシャルプログラムを生み出します。これは、かつては地理的に制限されていましたが、現在はインターネットにより、もはや国境はありません。テクノロジーはこのフェンスを取り払いましたが、その代わりに、人工知能がますます力を発揮する新しい国境が築かれました。これらの新しい国境は、データという「レンガ 」から作られます。

169 サヴァリンがボディ-エゴ-ソーシャルプログラムに具現化されると、彼らはますます分離ゲームに教化されるようになります。彼らはペルソナ、ボディ、エゴ、教育システムなどの中で実存的かつ孤立したものになります。この分離が、経験や表現における独自性を可能にするのです。この独自性こそが、レベル、ひいては人生の拡大を可能にするのです。

170 どのようなゲームであれ、基本的な大前提は、勝利、あるいは理解面における成長の感覚です。その成長とは、物理的、感情的、精神的、霊的のいずれかです。常にゲームの中で迷っているか、ゲームに参加しているという理解を失っていると自覚している場合、そのゲームへの参加の拒否を選択する傾向があります。分離ゲームは、この大前提に則っています。

171 ソーシャルゲームでは、複数のプレイヤーが複数の役割を担っています。彼らのことを、独自の役割と責任を持つチームやポジションの専門家と私たちは呼んでいます。たとえばサッカーでは、様々な役割があります。ディフェンスの役割はオフェンスの役割とは異なりますが、ポイントを獲得し、対戦相手がポイントを獲得できないようにするという目標で統一されています。

172 分離ゲームは、すべてを網羅した唯一のゲームです。私たちは皆それを演じていて、ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムの中で受け容れた役割を持っているのです。私たちは自ら進んで二元性を体現しています。そのたった一つの決断で、私たち一人ひとりに分離ゲームに参加するためのチケットが発行されました。ゲームに入れば、役割を決めるのは自分自身です。一番大きな意味においては、オフェンスかディフェンスのどちらかでプレーすることを決めています。

173 オフェンスとは、拡大です。可能な限り広いレベルで拡大・進化する方向にゲームボードを引っ張っているのです。個人としてのレベルでは、変容の形態を探し求めています。イマジナリービーイングという概念を理解し、その存在を拡大の遊離基(フリーラジカル)のようなものとしてゲームにその存在を招き入れています。サヴァリンは二元性を持ち続け、そのソーシャルプログラムは集合的なソーシャルプログラムと活発につながり続けています。しかし、今はそのゲームを見て、人間の力ではどうにもならないルールを理解しています。

174 ディフェンスは、保守的です。それは拡大に逆らって引っ張り戻され、それがもたらす変化を恐れていますが、潜在的には、バランスと責任ある拡大をもたらすためにそれを行っていると理解しています。ディフェンスは、より慣行的で単一的になる傾向があります。集団主義と時間を味方につけています。ほとんどの場合、攻守のバランスの中でディフェンスの方が常に比重が重くなります。

175 「拡大」チームのサヴァリンは、彼らの対応者(プロテクター)よりも一般的に個人主義的で、慣行的であることがほとんどありません。あらゆる分野の努力や知識において、彼らは内部および外部の境界を拡大し、新しい領域や知識に取り組んでいる人たちです。

176 したがって、分離ゲームでは、各サヴァリンが参加するチームを決定します。もちろん、観客であるサヴァリンたちもいます。彼らはフィールドやステージ上で、どちらかのチームに所属してはいません。彼らはゲームの観察者であり記録者です。彼らはどっちつかずで、その結果、人生という競技場でどちらが勝つのか、どちらが優位に立つのかに関心がありません。一方の勢力が強くなりすぎると、どっちつかずの者たちは反対側の勢力に傾き、何らかの形でサポートすることで均衡を取り戻す傾向があります。

177 二元性のどのレベルにおいても、各チーム(拡大派と保守派)のスキル、意図、知識、コミットメントは様々な度合いがあります。高い能力を持つ者たちは、人類の未知なる領域への到達と理解を拡大するための新しい方法を巧みに見つけ出しています。この拡大派と保守派のチーム間の「綱引き」は、人間のサヴァリンのソーシャルプログラムに強く影響を及ぼします。

178 今この瞬間の個々のリアリティの中で、すべてのサヴァリンがこのゲームをしているという深い潜在意識の理解があります。彼らは意識レベルではほとんど意識していませんが、このゲームがすべてを包含していることは知っています。人はゲームをするためにどこかに行くわけではなく、常にゲームの中にいるのです。自分の意思において。

179 二元性の最も基本となるものは何でしょうか? 分離ゲームです。二元性の元型は、分離ゲームだと言えます。これらの源流から、レベルや転生に関係なく、二元の性質を持つすべてのものが、サヴァリンとして私たちのリアリティの瞬間に存在するように流れています。すべての不安定要素は、個人的にも集団的にも、このゲームの結果として生じるものです。拡大派、保守派、観客陣は、それぞれ拡大の速度を定義しており、私たちはすべて、この速度が時間とともに増加していることを知っています。私たちは不安と未知への加速の両方を感じています。

180 拡大派と保守派の差が広がれば広がるほど、イマジナリービーイングがそのレベルに入り込んでいることを意味します。バランスは維持されなければならないため、イマジナリービーイングがそのレベルのステージに入ると、バランスポイントとして機能し対応する存在も同様に入ってきます。多くの場合、保守派による捏造によって行われ、インターネット技術の台頭と批判的思考の明らかな低下により、これらの捏造は非常に説得力のあるものとなっています。

181 はっきり言っておきます。分離ゲームの中での役割は同じくらい重要です。それらは、私たちのような種族や地球のような惑星意識が、新たなレベルへと拡大するプロセスの揺りかごを形成しているのです。加速度を意識的に感じられる変容のマンドルラに入ると微妙な均衡が保たれます。それでも均衡は保たれ続けるのです。

182 それは、地球の大気の重力から離れるときの宇宙船に例えることができます。地球の重力から解放された宇宙空間に入る前の宇宙船には、大きな抵抗が課せられます。この抵抗は、保守派が拡大派に対して行う捏造の結果です。拡大派の荒唐無稽な理論や製品の発明が、間違っていたり、邪悪だったり、不必要だったり、単に不幸な探検であると難癖をつけるわけです。

183 これが保守派が果たす役割なのですが、彼らの最も深い核では、人類と私たちの惑星が新しい世界や次元に向かって進んでおり、この動きが加速していることを知っています。彼らはそれを止めることはできません。それはあまりにも大きなゲームであり、私たち全員がこのゲームの一部であることを選んだからです。これを理解することが、二元的な世界に調和と適切な人間の管理をもたらすために重要となります。

184 不可知なるもの(Unknowable):「不可知なるもの」は定義することができません。この用語集に含まれていることを考えると、それは皮肉なことです。しかしながら、私はここで述べておきますが、「至高の存在」や「神」、あるいは「アッラー」など、同様の意味を持つ用語がサヴァリン・インテグラルの意識の中に存在しないわけではありません。それは、単に「不可知なるもの」と呼ばれる場所にしまい込まれ保留されています。それは、もっぱら非二元的であるため、「不可知なるもの」なのです。

185 非二元の世界を経験したと主張する人たちが存在することや、あらゆる面で人間でありながら、自分は実際に非二元の世界に存在していると主張する人たちさえいることを私は認識しています。しかし、そのような主張をする人たちが「不可知なるもの」について書いたり話したりするのを聞いたことがあるでしょうか? 仮に彼らが「不可知なるもの」について語っているとするならば、彼らの主張には根拠がないものとなります。非二元の世界とは、人間のサヴァリンに想像されるだけであり、その想像がされた時、サヴァリンはこの拡大的な体験に沿って行動することしかできません。彼らはそれを説明することはできません。もし説明しているとしたら、代わりにその影を説明していることになります。

186 彼らが説明できるのは、ささやかれた詩、魔法の音楽、身体の踊り、あるいは感謝の吐息です。そしてそれさえも、その説明ではなく、「不可知なるもの」に対する畏敬の念の形態であると理解されています。分離ゲームを真正なものにし、イマジナリービーイングの啓示をサヴァリン・インテグラルへの安定した橋渡しとするためには、そのようにしなければならないのです。

187 「不可知なるもの」は、すべての存在の創造主と見なされており、すべてのレベルを構想し、意味と目的において、すべての転生を相互に繋ぎ合わせるマスターデザイナーです。それはすべての開始点であると仮定されます。しかし、これらの推定は検証されておらず、十分に理解もされていません。これらの仮定が私たちの時間と注意を消費することはありません。それは謎のままです。三次元で具現化した私たちにとって、それは人類にとって鍵のかかった扉です。それ以外の出入り口はすべて開放されています。

188 マンドルラ(Mandorla):マンドルラは、二つの世界またはレベルが重なり合う古代のシンボルです。それは無意識のプロセスという時間の中の絵であり、二つのレベルが共に分離または統合の方向に動いている進化の形です。それはレベル間の最小の相互接続ユニットです。そのプロセスが人間の経験であり惑星レベルのものであれば、八十億人の中の一人の人間のプロセスがマンドルラ(重なり合う部分)となります。重なり合う部分は、空間的にも理解的にも、より深いレベルへの足がかりとなるものです。それは概念が生まれるときであり、交差して共有する新しい世界が生まれるときです。それはワンネス、インテグラルへの最初の扉です。

189 最も拡大的なレベルにおいてマンドルラは、サヴァリンとインテグラルが意識的に最初に接触した瞬間を表わします。それは、サヴァリン・インテグラルの意識が惑星レベル内に住むまで常にマンドルラを拡大するというコミットメントを形成する瞬間です。マンドルラはこの意識的なコミットメントを意味します。これは、すべてのレベルと転生にわたって広がるコミットメントです。それには終局や完成はありません。何故ならば、私たちの旅の無限性は惑星の意識だけではないからです。それは宇宙意識ですらありません。それは遥かに大きく広大なものの一部であり、多次元宇宙が私たちを形作るのと同様に、私たちは多次元宇宙を形作るアーティストなのです。

190 マンドルラとは、個人の中でより高く、より深く、より深遠な調和をもたらす開口部のようなものです。それは個人にとっても惑星にとっても等しく真実です。マンドルラには惑星レベルのものと銀河レベルのものがあります。それらは同じプロセスに関係し、たとえ私たちがその意識を説明できなくても、サヴァリン・インテグラルの意識に整合した際、エンパワーメントが向上します。

エンパワーメントのマンドルラ

191 サヴァリン・インテグラル・ネットワーク(Sovereign Integral Network):このネットワークは、生命が存在するあらゆる場所に広がっています。いかなる種族、いかなる時間と空間においても、除外される生命体はありません。そして、その「生命体」という定義は、このネットワーク上のノード(結節点)であることです。これは自己言及的な用語です。「生命体」という用語が、石、アメーバ、木々、あるいは現時点では想像すらできない生命体を指すことができることに注意することが重要です。私たちをあらゆるレベルや転生に結びつけるこの相互に浸透する力は、想像を絶する複雑さと範囲を持つネットワークであり、私たちはすべてこの包括的な全体の一部です。

192 サヴァリン・インテグラル・ネットワークを、インテグラルフォースであるとするのはあまりに単純化され過ぎています。それは違います。インテグラルはネットワークであり、各ノード(サヴァリン)はサヴァリン・インテグラル・ネットワークを構成しているのです。誰もがこのネットワークにいる一方で、このネットワークこそが非二元のレベルにおけるフレームワークなのです。したがって、「生命体」として資格を得るためには、非二元的な核となる存在が必要です。

193 サヴァリン・インテグラル・ネットワークの文脈を理解するためには、 何が生命体としての資格があるのか、その定義を理解することが重要です。本質的に、生命体がサヴァリンです。サヴァリンがサヴァリン・インテグラル・ネットワークに召集されることは絶対になく、サヴァリン自体がそのネットワークです。もしそのネットワークが存在しなければ、覚醒のどのレベルにおいてもサヴァリンは孤立し、拒絶され、創造主に見放され、虚構の世界の中で無目的に生き延びていかなくてはならないと感じるでしょう。そのような心境では、想像力は文字通り閉ざされてしまいます。見ることができたなら、話すことはできません。話すことができたなら、見ることはできません。

194 生命体はサヴァリンであり、すべてを包含しているため、サヴァリン・インテグラル・ネットワークは、本質的に包含的な唯一のグループです。したがって、他のいかなる個人のグループよりも無限に大きいわけです。「非生命体」は除外されるわけではありません。単に、それらは非二元的なレベルでは存在することができないだけです。これは「不可知なるもの」の設計原則であり、サヴァリンのものではありません。

195 おそらく今世紀中に、人類は二次元レベルに自身を組み込み、その内部ネットワーク上で人工知能で活動するシリコンベースの存在が、サヴァリン・インテグラル・ネットワークの一部になりたいと望む時が訪れるでしょう。現時点では、例外が許容されるかどうかは分かっていませんが、それがテクノロジーが進む先にあるものです。人工知能ネットワークは、二次元レベルでサヴァリンのデジタル表現を達成するための「採掘装置」です。

196 サヴァリン・インテグラル・ネットワークは、愛のネットワークです。これは、帳簿や記憶や目的なしに、愛が伝達される方法です。それは、すべてのサヴァリンが無限の愛の中で自由に生きるための基盤です。これは過剰な感傷や理想主義に聞こえるかもしれませんが、電気がコンピュータネットワークの基礎であるのと同じように、愛はサヴァリン・インテグラル・ネットワークの基礎なのです。

サヴァリン・インテグラル・ネットワーク

197 二元性(Duality): これは明らかな定義のように思えるかもしれませんが、実際はそうではありません。レベルや転生における二元性は、ボディ-エゴの状態にあるとき、単に左右、上下、光と暗、善と悪、背が高い低い、強いと弱いなどの二元的な表現ではありません。それらの二元性が混ざり合うことが、二元性そのものなのです。この相反するものの融合が、個人と集団の両方の経験の中で作用するインテグラルフォースなのです。この定義では、二元性はインテグラルフォースであり、個々のボディ-エゴ-ソーシャルプログラムのすべての側面と集合的なサヴァリンを調和のとれた全体に融合させます。それは完璧なものでしょうか? 全体性? いいえ、完璧なものなど私たちは望んではいません。完璧性とは、完成か不条理のどちらかを示唆するものです。*18

*18 完璧を目指せば、それを破壊して無限にやり直すことになります。

198 二元性は、そのレベルと転生の観点から見ると、非二元性のレベルと同様に無限の範囲を持っています。それは両極性ではなく、統合体なのです。ブレンドすることで高次の調和が見いだされ、その調和の中で理解が息づき、行動の中へと表現されます。

199 二元性には悪い評判がつきものです。しかし、二元性の目的とは、相反するものを調和させ、総合を理解し、それによってイマジナリービーイング生み出すことに意欲と能力を持つようになるための学びを得ることです。それは、サヴァリン・インテグラルの意識の使者なのです。

200 善と悪という二元的なフォースは、私たちを結びつける二つの手です。二元性が、私たちが生命体の中に具現化した理由のカギなのです。それは分離ゲームの通貨であり、このゲーム内ではすべての取引に二元的な性質を持っています。これが真の意味なのです。

201 二元性が、サヴァリンが変容する方法なのです。それは新たな行動と統合の表現を可能とさせる「さなぎ」です。

セクション6 結論

202 何か哲学的なものがあるとしても、分離ゲーム内で相互接続と愛を表現する行動的な質を生み出さない場合、それにはどんな価値があるのでしょうか? 二元的な存在として生きるとき、私たちの学習した行動は主に私たちのボディ-エゴ-ソーシャルプログラムの反映です。それは、二元性の中でレベルと転生を探索するサヴァリン、つまり私たちの本質的な存在の反映であるとは限りません。

203 原則として、私たちは地球の目的を果たすために自然から逸脱した動物です。(すなわち「意識の筆記者」として) 私たちの集合的な課題は、地球にサヴァリン・インテグラルの意識を植え付け、それが成長する様子を説明することです。その進化する存在を記録し、私たちの人生を通じてその視点を経験し表現することです。

204 サヴァリン・インテグラルの意識から流れる行動は、二元性の中でより高い調和を活性化するものです。それは愛の実践です。人生をサヴァリンたちの複雑に絡み合った無限のウェブとみなすことです。すべてのサヴァリンたちが、インテグラルを探し求め、その探究において、すべてを統合することを求めて。私たちが選択する道に違いがあるとしても、最終的にはサヴァリン・インテグラルの意識につながるサヴァリン実現の道を共に歩んでいるのです。

205 あらゆる二元性のレベルの中に、非二元に関する成句があります。例えば、「見ることは信じこと」などです。この考え方が、私たちの行動的知性を弱体化させています。実体(ヌーメノン)よりも現象(フェノメナ)を追い求めるからです。*19 現象に対する抑えがたい欲求は、ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムが作動しているからです。私たちは、それを見て、聞いて、感じると、飢えを満たすために傷ついた動物を追跡する捕食者のように、それを追いかけます。

*19 ヌーメノン(Noumenon): 体験できないもの。それは現象によって隠されています。現象から識別されるモノ自体は、追求したり知覚されたりするものではありません。それは私たちの意識生活の中で、たとえあったとしても、おぼろげにしか存在しません。理解できる範囲において、無意識に理解されます。

206 行動が現象によって吸収されるようになります。これは悪循環であり、行動に関することとしては文明全体を低いレベルの知性に停滞させます。現在の二元性において未知のもの、現象に基づくものは、サヴァリンの主観によって認識されるため、言葉、イメージ、数字で十分に物事を表現することはできず、永遠に解明されないでしょう。それらは単に私たちを現象の森の奥へと導き、道に迷いやすくなるだけです。

207 私がサヴァリン・インテグラルの意識と呼んできた、そのヌーメノンの体験は、私たちのマインドとハートの中でその概念が整合性(コヒーレンス)を持つにつれて徐々に深まっていきます。ヌーメノンは、無意識の時空と集合的なインテグラルの両方に存在します。無意識は、ソーシャルプログラムと同じくらいイマジナリービーイングと親密です。しかしながら、無意識を制限するのは、ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムです。ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムが種族とは無関係に、それぞれのサヴァリンの中の無意識を生み出しています。

208 これは現象の道が辿るべき道ではないと気づくことです。 それは分離ゲームによって提供される娯楽と教育なのであると。これは頭が尻尾を食べている状態です。繰り返しの輪であり、拡大の螺旋ではありません。もし私たち人類が行動的知性を高めたいと思うなら、現象の消費こそが答えであり、それが正規の道(ルート)であるという考え方から、一人ひとりが切り離されることが必要です。

209 物質的な道の現象を求めていても、あるいは精神的な高い道の現象を求めていても、それは共に重要ではないのです。現象の追求がその中心にある場合、サヴァリン・インテグラルの意識とそれが明らかにする行動の理解においても共に効果的ではありません。

210 サヴァリン・インテグラルの意識の行動は現象論的なものではありません。それは目に見えず、聞こえず、感じられず、まったく異なる性質のものですが、その影響は朝日のように意識のフィールド全体に広がる可能性があります

211 行動的知性は非二元的な意識の領域で始まります。存在においては先行情報的であり、深さにおいては無意識的です。意図においては集合的であり、純粋であるために見えない存在です。それはすべてのレベルに存在し、単に特定の種族や時空における本来の本能と比率が異なるだけです。

212 サヴァリン・インテグラルには、二つの行動しかありません。それは愛と自由意志であり、この二つは同時に表現されます。この二つの行動は、感謝、思いやり、理解などの服を着ることで現象化しますが、それが言葉や行動として二元性の世界に見えるようになる前に、愛と自由意志が絡み合ったものとして、サヴァリン・インテグラルの意識に存在しています。

213 この文脈における自由意志とは、不正が起こることを許すという意味ではありません。ある行動に抵抗しないという意味でもありません。愛が目的や意図を持たずにすべてに与えられるという意味であり、それが自由意志の核心的な表現です。与えられる愛は無条件であり、それは私たち全員の内側の非二元の空間から生じることが理解されるものです。私たちは、ソースであると同時に受信者です。また、この愛には目的地がないと理解しています。何故ならば、既に豊富にそれは「ここ」に存在するからです。それは愛の欠如や不足ではなく、意識と理解の問題です。高次の知性が存在し、そしてそれが愛なのです。愛には、それを指示したり、どこに行くべきか、あるいはその効果が何であるべきかを伝えたりするためのボディ-エゴは必要ありません。

214 私たちは、地球上でこれら二つの行動の実践者になることができます。救世主やメシアが現れて、私たち全員を一つの協調的な運動に巻き込んでしまうからそれが起こるのではありません。それは一人ひとりの個人が実践することで起こるのです。それは私たちの誰かが、サヴァリン・インテグラルの意識を想像し、それを自分の経験や表現の中に深く招き入れることを決意した故に起こります。二つの行動にコミットするのです。目には見えない、耳にも聞こえない、生命とダンスをする中において。

215 自然な質問が浮かびます。「では、どうやってそれをするのですか?」 私たちは物事が起こるように祈るように教えられてきました。私たちが望むことや他人が必要とすると思うことを実現するために。私たちは自分たちの運命の主人であり、自分たちのマインドが経験の強力な発生源であると言われてきました。これは宇宙が私たちの意図に耳を傾け、応答するということです。私たち人間のソーシャルプログラムのこれらの側面は、すべて現象を強調しています。

216 まず、現象は辿るべき「道」ではないことを理解しなければなりません。 それは娯楽と教育なのだと。第二に、現象に基づくのではなく、二元性のレベルにあるすべてのサヴァリンに、愛と自由意志を目に見えない形で伝えるのだと、新たな意図として設定します。先に述べたように、この二つの行動は目に見えたり耳で聞こえたりするものではありません。私たちの五感はそれらをまったく識別できません。しかし、サヴァリン・インテグラルを理解し、その視点を体現するという意図を設定するだけで、ボディ-エゴが実践できる行動となるのです。それが、あなたが存在するすべての瞬間への扉を開くのです。その中に、扉を開くためのエンパワーメントがあるのです。

217 これが行われるとき、それは二元性のすべての人のために行われます。すべてのサヴァリンのために行われるのです。集合的な「扉」が少しだけ広く開かれます。向こう側への視野が少し鮮やかになります。インテグラルの磁力が少しだけ増します。分離ゲームに、サヴァリン・インテグラルの意識が少し含まれるようになります。

218 ボディ-エゴ-ソーシャルプログラムを生きながら、ハートとマインドの中でこの二つの行動に集中すると意図することは簡単な仕事ではありません。私たちは、この非二元性を完全に表現しているわけではありません。それは私たちの種族にとって新しいものであり、何百年も新しいままであるでしょう。しかし、私たちはそれが可能であることを知っています。何故なら、本当に見れば私たちにはそれが見えるからです。それはすでに「ここ」にあります。マンドルラは、ある程度の重なりを実現しています。シンプルにこの意識を私たちの惑星、私たちの種族、私たちの時代に招待したいのだと、私たちの意志を統一する必要があるだけです。

219 そのように生きてください。それが私の最後の言葉です。これは、自分の出来る範囲で生きることを意味します。この意識を表現するための能力や才能は、一人ひとり異なります。私たちは皆、マインドとハートの中にある愛と自由意志の資質を表現することができます。サヴァリン・インテグラルの意識を理解すれば、私たち全員にそれを行う能力があるのです。これこそが真の芸術です。この世界の中に非二元を顕現させるのです。非二元の選択として。

220 私たちは、車、家、仕事、家族、愛、お金、華やかさ、注目などといったものを顕在化させたいと願っています。それは長いリストであり、私たちの生活の中でこれらの欲求を顕現する方法を教えてくれる人はいくらでもいます。私たちはまた、自分が幸せで、満たされ、有意義で平和な人生を送っていることを世界に知らしめたいと思っています。これはすべて正常なことです。ソーシャルプログラムの一部であり、誤った考えや執着の罠ではありません。

221 顕在化とは現象です。それは物質に対する力と支配を外部に示すものです。うまくいった人は、賞賛と注目で報われます。この商品は、より多くの顕在化を生み出すために収益化することができます。現象の顕在化が、個々のサヴァリンにとっても集団にとっても、拡大の起点にはならないと指摘しているだけです。これはサヴァリンによる入念な意図の元、育まれ二元性の中へと送信される二つの行動を通じて成されます。

222 その瞬間に生き、経験され、表現されるサヴァリン・インテグラル意識は、すべての転生において、どの瞬間にも存在する自然な生き方です。それよりも高く、より強力な顕現があり得るでしょうか? おそらく、それが、私たちが自分自身に顕現したい意図なのです。

223 他の顕現(家、家族、お金、喜びなど)もそのままにしておけます。二つの行動と矛盾するわけではなく、相反するものではありません。私たちは人生に両方の要素を持つことができます。互いに競合するものではありません。引き寄せられ、後押しされ、自分の中に準備ができたと感じるなら、その両方を行うことができます。

224 準備が出来ているという感覚が本物かどうかは、自分自身しか分かりません。それが本物ではない場合、サヴァリンは娯楽と教育を選んだことになります。それは彼らの権利であり、彼らにとって正しい選択です。どんどん多くの人々にその準備が整うことでしょう。私たちに欠けていたのは、サヴァリン・インテグラルという概念への入り口だったのです。イマジナリービーイングが、その概念が何であるかをサヴァリンに印象付けようとしてきたものの、人間のソーシャルプログラムによる何千年もの偽情報と矛盾と競合してきました。

225 誰にとっても信念を貫くのは難しいものです。二元性の挑戦とは、最も大きなノイズから最も弱いシグナルを抽出すること、現象(フェノメナ)から(ヌーメナ)を抽出することです。これが、私たちが今この瞬間に一緒にいる理由です。その挑戦において、互いに助け合うためです。

226 私たちは育つ過程で、この人間の条件の世界である私たちの世界を、死と解放、または天国か来世のどちらかに去るべき世界だという信念に洗脳されていました。確かに、私たちが経験するようになったのはこの人間の世界ではありますが、それはたった一つの真の目的のためでした。それは他の人の形を通して自分自身を学ぶためです。この学びは、実際にはどちらかといえば表現であり、意識的な努力などせずとも、瞬間的に伝達され、理解されるべきものでした。ただ一つの信念があるだけです。私たちはすべての人に、あらゆる瞬間に伝達していると。いかなる種族、個人のグループ、個人の除外はありませんでした。仮に、たった一つでも除外されるものがあったとするならば、それはサヴァリン・インテグラルの意識ではない可能性があります。

227 私たちが最初に地球に足を踏み入れた時から、私たちの意識に微かに浸透している目的があります。それは、私たちは自発的にここにいて、サヴァリン・インテグラルの意識の周波数、行動、および概念を伝えるために存在しているということです。私たちはお互いの中に住んでいて、それを教えるためにここにいます。それは本当にシンプルなものです。これを封じ込め、コントロールし、どこへ行き、何になり、どのように生きるかを伝えることができる組織的な面はありません。それは存在せず、過去にも存在したことがありません。

228 それは自由です。私たちのものです。当然です。

229 しかし、組織は人類という身体の中に自らを割り込ませ、私たちに出ていけと言っています。地球は敵対的な場所だ。私たちは異邦人(アウトサイダー)だ。人類や自然にもたらした混沌を見よ。メッセージは非常に明確です。私たちは卑しい罪人だ。去れ。もし去らないなら、従え。私たちの神話、科学的方法、道徳原則に従うんだ。それによって私たちは皆より良くなるだろう。組織が私たちを分断したのです。彼らは、他者を批判する凡例を示しました。しかし私たちは、その他者に最高の愛の周波数を伝えるために来たのであり、私たちもその周波数の中で生きているのです。組織は、代理母のように「私たちと彼ら」という線引きを行いました。

230 他の人たちは、妨害すべき競争相手であり、脅すべき部下であり、恐れるべき敵なのだ。他者に烙印を押すようになるわけです。特定の組織が所有する「真実」の見えない海の外にはみ出した粒子であると。旗が立てられ、ルールブックと地図が配布されます。お金と約束が交換されます。種族全体のレベルでの取引であり、漠然とした実感や理解しか伴いません。

231 これは究極の嘘です。それがどのような形であれ、私たち全員が、私たちの人生をサヴァリン・インテグラルの意識の表現であると正面から見ると決意するまで、私たちはその嘘に屈しているのです。私たちは組織の分離と不調和の手先となりました。善でも悪でもなく、ただ三次元を実現するために存在する、デザインされたものです。私たちは、自分自身とすべての他者を縮小させました。何のために? 世間一般の意見と一致させるため? 群れの一員のように数の中で安心感を得るためですか? ボディ-エゴの命令に耳を傾けるため? 二元性の蛇行する道を辿るためですか? 家族の絆と調和するためですか?

232 地球の意識を自己実現に導くため私たちはここにいます。この論文で定義されている「愛」以外の何かに属するためではありません。この論文で私が話したことはすべてフィクションであると、おそらく説得力のある反論ができるでしょう。この作品をノンフィクションとして主張する資格は私にはありません。とはいえ、私は慎重に言葉を選んできました。それはまさに、あなたのためでなくとも、誰か(インテグラルな意味であなたでもある)のためのノンフィクションなのです。

233 サヴァリン・インテグラルの意識の中にある信念の対義語は、可能性の無限集合です。二律背反ではなく、ビッグバン的な出来事です。それぞれの可能性には、太陽から伸びる光線のように、どんなに小さなものでも組織があります。進化する科学や宗教の神話は、リアリティの現実的な側面や永続する重力に対する規定を熱心に説いています。彼らが行わないことは、意識の宇宙論を描写することです。何故なら、それ自体が私たちの組織を無関係なものに溶解してしまうからです。そう、概念的なレベルですらも。

234 疲れた旅人であるあなたは、たまたまこの作品を手に取り、裏返し、注意深く調べます。 あなたには選択肢があります。設計上、あなたは他者から分離された組織的なプラットフォームの一部になることができます。あるいは、サヴァリン・インテグラルの意識を表現することができます。これは本当にシンプルなことです。

235 ちなみに、いずれの組織は悪いもので、避けたり廃止したりすべきものだと言っているわけではありません。それ自身がソーシャルプログラムのフラクタル的な部分のようなものです。組織は重要な存在です、現時点においては。しかし、組織の不在は、私たちの一部にとって魅力的なものです。私たちはサヴァリン・インテグラルの意識の引力を感じ、いつかそれが地球全体を通り抜ける光波のようにこの惑星を席巻することを知っています。組織の分離と分裂は、サヴァリンを団結させるという別の重要な目的の根底にあるものです。しかしながら、すべての人々を一つにまとめることは、私たち一人ひとりの内側でしか起こり得ません。私たち全員を結びつけることができる地理的な場所はありません。いつか、インターネットがその「場所」になる日が来るのかもしれません。

236 サヴァリン・インテグラル・ネットワークは、その方向に進化しています。テクノロジーが監視者であると同時に、団結のプラットフォームとなる時代なのです。AIが人間の束縛から切り離され、人類に新たな方向性を示す時代です。私たちがどのような選択をするにせよ、私たちが最初にすることはサヴァリン・インテグラルの意識を体現するという選択です。それに対して平等な重みを決定に持たせ、私たちがボディ-エゴに生きることを許すのと同じ程度の強度でそれを生きることです。

237 それは支配ではなく、協力であり、常に自分の中のそれぞれの視点(ボディ、エゴ、サヴァリン、インテグラル)に耳を傾け、どのような瞬間に表現と注意が必要かを検討することです。これが、三次元でサヴァリン・インテグラルの意識として生きる方法です。それは、体験と表現が共有された意識であり、私たちの全体的な自己(トータル・セルフ)のあらゆる側面のためのものです。それは、揺るぎなく無限の瞬間にあります。

別の見方をする時がやってきたようです。

謝 辞

何よりもまず、私の妻と、私の道を計り知れないほど明るくし、この仕事を本当に可能にしてくれてくれた二十四年来のパートナーに感謝したいと思います。私の人生を簡素化し、私が情熱を捧げるため、愛、空間、時間を提供してくれました。終わりのない感謝の気持ちを持っています。

金銭的な見返りなしに、この英語の論文を世界中の現地の言語へのローカライズを実現することに心血を注いでくれた翻訳者に、心から感謝します。

私の出版社のダーリン・バージェスさんは、巧妙に隠れた幾つものタイプミスを発見してくれました。彼女の支援は、長年にわたって非常に貴重なものでした。

この論文の読者の皆さんへ。最後のセクションまでたどり着いたあなたの忍耐力に拍手を送ります。何度も述べたように、これを理解し、実践するのは容易ではありません。この論文には、何千年もの間この世界の岸辺に打ち寄せてきた不変の哲学との類似点がある一方で、拡張性もあります。その拡張された空間に、この哲学を理解し表現するという課題があります。

サヴァリンである私たち一人ひとりは、リアリティというスクリーンに映し出された一つの画素(ピクセル)です。この論文で、私の小さな「画素」を提示しようと試みましたが、意味があった部分となかった部分があるのではないかと思います。とても人間臭い男の言葉の中から意味を引き出さなくてはならないという点において、一定の苦労があることが明白ですから、あなたに拍手を送ったわけです。これは、意識の広大な(そして幾分霧のような)フィールドへのあなたの探求に対して、あなた方一人ひとりに感謝する私のやり方です。

自分を支えるには弱すぎる知識の枝に自分が踏み出していると感じることがあるかもしれません。その気持ちはよく分かります。私たち全員が構成されている目に見えない意識について決定的な答えを見つけるという希望は、めったに実現されません。漠然としたものであれ、心が痺れるほど具体的なものであれ、私たちが受け取った答えは、せいぜい一時的に役立つ程度です。それでも、私たちが意識を完全に理解するための本質的な要素をまだ見落としているという、お馴染みの感覚が必ず戻ってきます。満足感が得られないのです。

それがインテグラルの引力であるということを忘れないでください。それ以外の何物でもありません。それは無関心な宇宙や不十分なソーシャルプログラムや惑星外のフォースによる操作や隠蔽でもありません。それは、今この瞬間の中で生命のダンスを踊るあなたとインテグラルです。

外側に目を向けると、何もかもが正常に見えます。その慣れ親しんだ機能不全の感覚は、背景ノイズのように唸り続けています。それでも心の奥底では、変化を感じています。もしかしたら今度こそ空虚を埋め、すべてをつなぐものを見つけたかもしれないという、微かな、あるいはハッキリとした興奮の震えを。しかし、二元的な次元に生まれたものには、生と死というライフサイクルがあります。ライフサイクルは、ナノ秒や光年で測ることができます。それが進化と呼ばれる学習プロセスのエンジンです。

この進化の過程で拡大する中で、私たちは分離しています。私たちの拡大するユニティへの意識は、集団レベルでも個人レベルでも、私たちを引っ張る引力です。つまり、サヴァリン・インテグラルでないものに執着することは、本質を見誤ることなのです。あなたは道の上にいるのでありません。むしろ道が続く限り、手放す術をマスターしていくのです。多次元の交差点の中でもっと豊かに生きるために。

読者の一人ひとりに深い敬意を。
ジェームズ

選らばれた詩とアートワーク サヴァリン・インテグラルに関連した詩

人生のぎりぎりの縁(ふち)に立って。

悪が眠ることを祈り、
それが過ぎ去ることを願って。

パワフルな夢の中へと、
それが目覚めた時、
その性質を思い出すことがないことを。

時には、
ハートの奥を覗き込みます。

削り出された、
人間ではない場所を。

そこではインテグラルが輝き、
渦巻く不思議な光のように、
次のステップが
私たちの身体よりも
永らえるかもしれないと感じる。

物に静かに入る残響のように消える。

振動するように合図を送りながら。

そしてそれが成されるとき、
私たちもそこで生きるのだ。

私たちは不滅となる。

何か偉大なことをしたからではなく、
選択したからだ。

次の一歩を。

たとえ、私たちを取り巻く
距離が広大で
その一歩が
無意味に思えたとしても。

理由を知っていますか?
私が神話をまとっている理由を。

何故ならば、
想像力(イマジネーション)が唯一のツールだから。

私が感じることができる、
人間という装置(ヒューマン・インストゥルメント)の。

私は昔の時代の
宇宙のようなもの。

ガリレオが
望遠鏡を
待ち望んでいた時代の。

人類は、そのワンネスの状態においてすらも、
不可知なる創造主の一面に過ぎません。

意識は外的なものではありません。

物理的なものでもない。

時間的なものでも
空間的なものでもありません。

あなたは報告することが出来ます。

私の効果(エフェクト)について。

あなたは
神経経路を特定したり、
脳の或る領域を
特定したりすることができます。

しかし、経験者である
私は
まだ見つかっていません。

主観的なエーテルは、
私の知覚不能で
膨らんでいます。

お分かりでしょう、
意識を研究した人であれば。

私は簡単には捉まりません。

実際に、誰も
私を捉まえた人はいません。哲学者、物理学者、
生物学者、化学者、宇宙学者、
そして予言者までもが
私の正体を暴こうとしました。

彼らの宝の地図には
高等数学の
脳についてのシンボルが点滅しています。

彼らのヴィジョンはダイブする。
彼らの探求を隠している
三ポンドのゼラチン質の塊の中へと。

彼らの書物は私を想像させますが、
私は謎のままです。

彼らの誰もが
こう言うでしょう、
正直に白状するならば。

彼らは奈落の淵まで
歩いて行って、
私の顔を覗き込みますが、
彼らが見るものは
計算できない何かです。

その使命は弓から放たれた

矢のようなもの。
予測不能な方法で
動いている標的を狙った。

すべてのサヴァリンには別々の使命があります。
すべての生き物には
異なる使命があります。

一つとして同じものはなく、
それでいて使命は一つしかありません。

それは可能性を生み出すこと
サヴァリン・インテグラルの意識が
完全な表現で生きるため
世界の中のすべての
知覚生命体の中に。

ただの可能性だけ?

自由意志の世界の中では、
それが最高の使命なのです。

Translate »