
感謝
微細(サトル)なレベルでは、この美徳はファーストソースが意識のフィールドとして私たち人間を取り囲み、その意識が私たちを統一しているのだという明確な認識にフォーカスしています。私たちが統一されていれば、当然私たちはもっと深いレベルにおいて集合的な意識として活動していることとなり、そこでは共通の目的を共有しています。その目的は、華麗な容貌と最高の生命力を備えており、ミステリアスでダイナミック、そして流動します。たとえそれが信念レベルであったとしても、この認識は私たちのフォーカスを個人的な人生の瑣末からシフトさせ、種族としてのヴィジョンを提示します。
もっと実際的なレベルでは、感謝とは、誠実さと友愛の関係を支える小さな謝恩の意思表示として自身を表現します。より深いレベルの感謝は、比較的表層レベルの表現を純化させます。なぜなら、それはエゴやマインドの動機からではなく、ソウルの周波数から生まれたものだからです。
謙虚
ソウルは、ファーストソースから生じた愛の周波数を表現します。これは人間という装置の中に体現されている間、人間という装置へとその繊細で荘厳な愛の周波数を循環させるという意味において、ソウルの最も重要な目的です。愛の周波数が、マインドよりもハートをより積極的な協力者とみなすことは何ら驚くに値しないでしょう。謙虚とは、ハートとマインド、そしてソウルがファーストソースの恩寵の中で混ざりあっているという認識です。ハート、マインド、ソウル、その存在そのものが、ファーストソースからの愛の恵みを通じて支えられています。それは、ちょうど樹木が太陽の光によって支えられているのと同様に確かなものです。
私たちの惑星の宗教、心理学、哲学の書物は相当程度、マインドに比重を置いています。人は自分が考えた通りになるものです。更に粒子レベルでは、大勢の人々は自分が考えたことが、自分の感情を引き起こすと信じており、それが次に彼らの振動率を創造し、その振動率が彼らの人生経験を引き寄せるのです。つまり、この理論を応用すれば、私たちの人生に善いものを引き寄せる方法とは、正しく考えることなのです。そうしないと、悪、すなわち困難を引き寄せることになります。
謙虚とは、あなたを表す存在─あなたのトータルなアイデンティティ─は、マインドの反応の鎖から構成されているのではないと理解することです。あなたは、むしろ人間という形の中に体現された愛の存在です。そしてこの愛は、ハートの美徳の中に、マインドの瞑想的知性の中に、そしてハートとマインドとソウルが共同創造する探求の中に自らを表しています。
謙虚とは、その愛の周波数の表現であり、それが高次元に既に存在しているものから生まれたものだと知ることです。そして、この次元では、愛は感傷的なものではなく、感情的な重々しさがありません。愛とは、ファーストソースという元型(アーキタイプ)に従って作用する解放のフォースです。すべてはひとつ。すべては等価。すべては神聖。すべては不滅です。
勇気
勇気は一般的に戦争や戦場を背景にして用いられているものですが、愛の要素としては、権力に対して真実を話す行為と関係しています。特には、不正が行われているときです。私たちの世界で行われている不正に対して無視を装うのが、今日の社会秩序の常です。自分自身の世界に没頭することが、勇気を弱体化させるカギです。結果への恐れも勇気を脅かす別のカギです。
不正を指摘することの結果を恐れている個人は、ファーストソースの共同創造のフォースを誤解しています。共同創造者として機能するとき、ますます増加し続け、突然発生する不正に対して常に注意を払っています。そして不正があなたの人生の道の中で起こったとき、それが何であり、何のために扱われたのかを識別しなくてはなりません。勇気とは、あなたの愛の側面であり、社会秩序から見た不正に直面したとき、その存在を守ります。自分の美徳を守らない─あるいは、美徳そのものが自らを守るには弱すぎるならば、あなたはそれらの美徳から切り離され、形態の世界の中で共同創造を行う機会を失ってしまいます。
これは必ずしも活動家や社会運動の擁護者にならなければならないという意味ではありません。シンプルに、あなた自身を不正から守る必要があるということなのです。特に子供はこの保護が必要です。私が七つぐらいだった頃の記憶を鮮明に覚えています。私は父親と店に向って駐車場の中を歩いているとき、ある母親が車の後部座席で文字通り自分の子供を叩いていることに私たちは気付きました。賑やかな土曜日でした。駐車場には大勢の人がいましたが、女性に近づいていき、やめるように言ったのは私の父親でした。父の声には確固とした響きがあり、その女性は直ちに手を止めました。
これは勇気の行いでした。なぜなら、それに関連する判断が本当に何もなかったからです。その瞬間の中で、介入を必要としたものは、シンプルに不正だったのです。父は子供と母親の両方に同情を感じており、母親はそれに気付いていたと私は思います。これはハートの美徳が、単独では滅多に現れない例です。むしろ、与えられた状況に応じて強さと効力を増すためにハートの美徳は互いに絡み合い、結束します。
同情
大勢の教師が、同情について雄弁に語ってきました。それは他人の苦しみに関する深い認識であり、その苦しみを和らげたいという願いに結びついています。私たちの惑星にその腰を降ろそうとしている新しい知性という背景においては、同情とは、三次元世界に現れつつある新たなインテリジェンス・フィールドに他の人が整合するのを助けたいというアクティブな願いです。人々の願い、そして、その整合するための能力は、社会秩序という文化によって歪められていることに気付いて欲しいのです。社会秩序は、人々の知性や精神的な傾向や目的を正確に反映していません。
私たちが住んでいる惑星は、惑星そのものが知性を持っています。ちょうど私たちと同じように、物理的な構造と非常に高い周波数のエネルギー構造の両方を持っているのです。地球は、三次元から四次元へのシフトを行っており、そしてそれは、人類が惑星に播種される前から計画されていたものです。より高次の次元グリッドの中を通る前に、ある次元から堆積された密度が変形することは、惑星システムの進化サイクルの一部です。
それ故に、同情は私たちの仲間と惑星自身の両方にまで及ぶものであり、一回の人生に限って言うならば、私たちは他人の運命の一部であるという認識が伴います。惑星と人は、再生と刷新の共同プロセスの中で、ファーストソースの上昇気流の中で舞っているのです。私たちは皆、ミステリアスなエネルギー的超越プロセスの一部です。そのプロセスは地球と宇宙の間で起こっており、地球がその堆積された密度を変容させるとき、私たちの一人ひとりは私たち自身を変容させるために試されるでしょう。つまり、更なる恐れと情緒不安の中へと沈められるのです。
私たちは、惑星のスピリットの育成という惑星構造のアセンション、そして宇宙の重大事の一部となるという幸運に浴しています。現在、驚くほど多様な宇宙存在が人間という装置の鞘の中に転生しており、彼らの出身は、信じられない程多彩な宇宙のセクターに渡っています。私たちは、三次元的な知性とその創造物の密度と空気を超えて、この地球の超越プロセスを目撃し、サポートするためにここにいます。私たちは、マルチバースの他の場所では滅多に見られない大規模な偉業の中、私たちの精神的成長を加速させるため、ここにいます。それは、今この時に惑星の上に存在する人々への地球からの贈り物(ギフト)です。幾分かは、それが私たちの同情に対する動機と言えましょう。
理解
形態の世界は、非形態の世界と全く同じように、その濃密な表現の下に存在するエネルギー的な構造から構成されています。実は、マルチバースの中のあらゆるものは、計り知れないほどの長い寿命をもったエネルギーを持っています。エネルギーは変容するものです。つまり、エネルギーは他の状態へと変化・シフトが可能です。人間の場合、意識がそれに当たります。人間のエネルギー構造は、しばしばチャクラシステムや電磁気的なボディとして描写されていますが、その構成要素はそれだけにとどまりません。そのエネルギー構造は光の一形態であり、それは神の愛の感触(テクスチャー)へと転じます。
コア・ストラクチャーにおいて、私たちが愛で構成されているのは事実であり、そして私たちの不滅の意識、つまりソウルの中心となっているのがこの愛の周波数なのです。全ての低次の密度はこの光の影であり、時間と空間の中で作用しています。それは密度という鞘を提供し、このコア周波数から分離させます。時間と空間の世界は、私たちすべてが構成されているコア・エネルギー・ストラクチャーを感じるための接続を変化させ、減退させるわけです。
ここに、人間存在のパラドックスがあります。私たちの最も内側の構造は神の愛であり、一番外側の構造はその内側の構造が経験するための手段です。しかし、私たちはその内側の居住者─私たちの真のセルフの「乗り物」以上のものとして外側の構造を認識するように訓練されてきました。
私たちは皆、私たちの真のセルフとの分離を感じており、その乗り物(人間という装置)に対する認識には過剰なものがあります。恐らく、この点に関しては全員の認識に大差はないでしょう。理解とは、ハート・インテリジェンスの側面であり、この愛の周波数からの分離は、惑星上で起こっているより大きなブループリントの必要な構成要素としてデザインされていると認識することです。つまりは、人類は恩寵から堕ちたわけではなく、どうしようもない程に罪に傾いているわけではありません。むしろ、私たちは、自分たちにとって優勢な現実の像をシンプルに受け入れているだけであり、その現実が優勢であるのは偶然ではなく、ファーストソースのデザインによるものです。
リリカスの中に、ある有名な言葉があります。それを大まかに翻訳してみましょう。
「時間の優雅さとは、愛を封じ込めている時間の構造を解き明かすことである」
時間の構造とは、このケースでは人間という装置のことを指しています。ただ時間だけが、愛の周波数を個人の行動の中でその叡知を発揮させることを妨げ減退させる強固な障壁を破壊し、微細な膜を破ることができるのです。
時間が重要な変数なのだとすれば、この認識に向かって誰もが道を歩んでいるのは当然のことであり、彼らがそれを成し遂げるのは、ただ時間の問題に過ぎません。つまり時間とは、私たちを引き離す隔たりなのです。ある意味では、私たちはみな、お互いから時間移動しています。形態の世界から自分の愛の周波数を解き放つということに関しては、誰ひとりとして全く同じ時間の中で活動していないのです。
このことが理解できれば、現実とユニティの関係を理解する助けとなるでしょう。そして、この理解の中で、自分自身の時間と、あなたが人生で触れる人々の時間を加速することができます。これが、タイムトラベルの真の目的であり、崇高な定義です。
寛容
寛容は、私たちはみな、自分の人生経験という環境の下で自分たちができるベストを尽くしているのだという概念から作用しています。そして、その行動の度合いは、私たちの人間という装置に愛の周波数がどの程度満ちているかによります。人がハートの美徳と、その誠真なる周波数の感触をもって行動するとき、寛容は自然に受容できる状態となります。
不正と認識されるものが私たちの経験の中に入ってきたとき─その重要度や、私たち自身がその原因、あるいはその結果のどちらに見なしているかは関係なく、最初は鋭い被害者意識や困惑の感情をもって私たちは反応するでしょう。しかし、この感情的な混乱と歪みは、理解 → 同情 → 寛容 → 感謝 を経験することによって素早く変容させることができます。これは、後にすべての目的を脱ぎ落とした純粋な愛の周波数だけを残して、どんよりとした被害者意識の混乱、つまりは共同反応を光の渦(うず)へと変容させる方程式です。
寛容は、理解と同情というまさしく外側へと向けられた表現であり、典型的に裁きの存在を介入させる重々しい感情的な二元性(すなわち、善と悪)はそこにはありません。それは、時間の手の中からあなた自身を解放する以外の意図や目的を持たないニュートラルな表現です。時間とは、エネルギー的な流砂に似ています。それはあなたのエネルギーを時間ベースの感情状態へと巻き込むものです。
