風の谷のナウシカ


最近、風の谷のナウシカの漫画本(全7巻、ワイド版)を読みました。

第1回目のスタディグループで「ナウシカ」がキーワードが登場して以来、私は映画を見ていたので特に漫画は見なくていいかな、、と思っていたのですが、前回か前々回のスタディグループで再びナウシカの話が出て、映画とは話も異なると言うことで、見てみました。

(これ以外にも、ナウシカがお勧めとシンクロがあったので)

話を読んで、概ね、ストーリーは予想した通り肥大した分離文明が、自然と調和した統合文明へと至る意識の道のりのようなお話で、The Weather Composerの話にもある、地上の破滅や浄化などもキーワードになっていました。

地上の浄化や破滅は、ハルマゲドンや審判の日、大峠、収穫祭、世界の終りなど、いくつかの言葉やストーリーで知られ、それらを乗り越えることで、旧時代が終わり、新しい時代が始まると言った旨が一般的な帰結であるように思います。

虚無論もあり、今回のマトリックス世界が終われば、それで終わりと言った見方もあります。

台詞ピックアップ

以上イントロで、ここから、少しナウシカの本文中で気になったセリフをピックアップしました。

ネタバレのようなものは含めていないですが、もし未読で気になる方がおられたら、ご注意ください。

「食べるも食べられるもこの世界では同じこと 森全体がひとつの生命だから・・・」

人には弱肉強食と言う考え方があり、現代文明も弱い立場の人を強い立場の人が搾取するような構図が度々見受けられますが、この文からは、強いも弱いも(食べるも食べられるも)、同じひとつの生命の営みとして解釈しています。
全ての生命がひとつであることを前提に、食べたり食べられたりが行われていると言うことで、現代文明のように、全ての生命がひとつではない事を前提に、パワーゲームが行われていはいないと言うことです。

個にして全 全にして個……

ナウシカの物語にも、「個にして全 全にして個」の意識を持つ生命体の存在が描かれています。

「ちがう いのちは闇の中のまたたく光だ!!」

ファーストソースは、この宇宙を生む前は「闇」の中におり、自分しかいませんでした。

宇宙を産み観察者と経験者に自己を分割することで、初めて生命・・つまり光が生まれ、広大な時の中で消えては作ってを繰り返しています。

闇の中のまたたく光と言う台詞は、この記憶を思い出させてくれます。

他にも気になる台詞があったのですが、また思い出したら追記しようと思います。

存在モデル

ウィングメーカーでは、生命と種の存在モデルについて、下記の方程式を述べています。


発展・救済モデル(evolution/saviorship)

人間という装置+階層=救済者を仲立とした神との関わり
(Human instrument + Hierarchy = God connection)

変容・支配モデル(transformation/mastership)

実体+ソース・インテリジェンス=ファースト・ソース
(Entity + Source Intelligence = First Source equality)


発展・救済モデル(evolution/saviorship)

現在、地上の人類種の多くの段階は発展・救済モデル(evolution/saviorship)であり、個は種や種の文化が定める階層構造の中に住まうことで、自分のアイデンティティと個の限界を宣言し、その中で動き回り一生を終えることを、至上の命題としています。

これが一般的な「人」の行き方で、人の本能ではなく、教育によって定められた生き方です。

「誰もが知っているはずだ! 花に咲き方を、鳥に飛び方を、魚に泳ぎ方を教えることはできるのだろうか? 勿論、そんなことはできない。そのような行動は、生物の生来の性質の中にコード化されているからだ。そして、それは私たちも同じだ。しかし、私たちは創造主の存在の中心として生きる代わりに、偽者として生きるようプログラムされている。そして私たちの大半は、群衆によって誘導されている。何故なら、群れの中にいる方が安全で同一性があるからだ」

ドールマン・プロフェシー

つまり、階層(ヒエラルキー)が定める生き方を自分に敷くことで、本来は完全無欠である生命の個と言う性質を抑圧/変性させ、自分本来の生き方ではなく、群や集合によって定められた生き方を実践し、結果的に悲しみや苦しみを生み出す人生を創造してしまう原因になったりします。

本来、人の生命は喜びと成長を実感するために生まれてきているのですが、ヒエラルキーが定める生き方は、多くの個にとって不調和をもたらし、病気、働きたくない精神、詐欺、犯罪、貧富格差の拡大、戦争、未来への希望のなさ、自然破壊、資源の搾取や浪費、そして「自分は何のために生まれてきたのか?」と言う単純な質問に答えられない精神状態を作り出します。(つまり、ヒエラルキーが善と悪を定義してしまいます)

これら、ヒエラルキーが定める生き方を数百万年続けてきたため、ヒエラルキーなしで生きる生き方を忘れてしまい、結果、自然とのつながりも忘れ、前述の「人間という装置+階層=救済者を仲立とした神との関わり」を実践し、永遠に、救ってくれる誰かや、救ってくれるシステムを求めたりします。

生成AIの急速な発達も、人類の艱難辛苦を機械のスーパーインテリジェンスに救ってもらおうとする、救済者を仲立とした神との関わりを深層心理として人類が求めているが故の活動なのかも知れません。

変容・支配モデル(transformation/mastership)

変容・支配モデルは、簡単に言えば個々人が自分自身をセルフマスタリーし、ソースインテリジェンスと繋がることで、ファーストソースとして生きていくモデルです。

この方程式の中に仲介者は存在せず必要ではなく、必要なのは、この道を歩むと言う自分自身の意図と行動、そしてその積み重ねだけです。

これは、個がヒエラルキーの支配の手から離れ、全ての生命と個がフラットに相互接続されるネットワークの中で、メビウスの輪のように個と全のバランスを取りながら、自立立脚して生きていくモデルです。

どうしても、ヒエラルキーの中にいると個はその本質を忘却し、その能力を十全にかつ自由に発揮できないので、ヒエラルキーからの脱却は来たる未来に於いて必須事項となっています。

未来では、階層的な組織の中で生きると言うよりは、バラバラがない、枠組みに縛られずに伸び伸びと個が生きていけるような仕様になっています。

より具体的に言えば、現代の社会では国なり会社なり家族なり団体なり組織的な枠組みがたくさんあり、それらの組織は分離独立しています。例えばある企業Aが資金繰りに苦しくなって倒産しそうであっても、無条件に他の会社から援助を受けて再建できる訳ではありませんし、これは世帯と呼ばれる家庭単位でも同じで、ある世帯が苦しくても、他の世帯が必ず援助してくれる訳ではなく、公共福祉か、極端な例では闇バイトと呼ばれるものに応募して、世帯的な苦しみからの脱却を図る若者らも出てきています。

このように、現代の社会構造を構成する基本継続単位は組織に流れる独立したお金であり、コマースを介して交換が行われはするものの、そこにはさまざまな付帯条件が付いて回ります。

分離した組織構造ではなく、一体性の法則をベースにした組織では、これらのような条件が存在せず、無限に、無条件に、各組織に必要な資源や情報が届けられます。(それを組織と言えるのかは、別問題でありますが)

私たちは、一つであり全なのですから、当たり前のことです。

現代の構造はサバイバルをベースにしていますが、未来ではサバイバルは不要であり、逆に、存在しなくなる恐れを抱く方がかなり困難となります。

この「未来」はサヴァリンインテグラルとサヴァリンインテグラルネットワークに基づく一なる創造主による計画のもので、紆余曲折はあるものの、全ての生命体の根源因子にコード化され、活性化を待っています。

自然との調和

自然はすでにサヴァリンインテグラルです。

誇らしげにそれを着て、その意識とコミュニケーションを取ることで、人もその意識に触れることが可能です。

自然はチェス盤でいうファーストソースのクィーンであり、人類の囚われた意識へ効果的に働きかけ、ヒエラルキーのような階層構造が「こうあれ」と指示する命令から人類のスピリットを解放し、人と共に生きることを望んでいます。

自然(の意識と)調和した人の在り方が本来の人の本能に基づく生き方であり、ナウシカの物語は、これを物語として教えてくれているような気がしました。

Nausicaa
© Studio Ghibli

次回スタディグループ開催調整中です。



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